李 方子 李氏朝鮮王朝最後の妃は日本人 貧しくても韓国で福祉に尽力

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こんにちは!そんべんです^ ^

平昌冬季オリンピックまであと1ヶ月足らず
どんな大会になるのか楽しみですね(((o(゚▽゚)o)))

韓国つながりでこの方を紹介!
李 方子(リバンジャ)

皇族と学習院   李 方子

さてどんな女性だったのでのでしょうか?

1901年
父 梨本宮守正 母 伊都子(いつこ)の間に生まれる

梨本宮は皇族の一つ。父は親王の4男でした
家柄が良く、皇太子 裕仁親王(後の昭和天皇)と年齢が近いことから

皇太子妃の一人として久邇宮良子(くにのみやながこ→のちの香淳皇后)など
学習院女学部で学ぶ
学習院といえば皇族のイメージ^ ^

1916年 16歳学習院女学部 中等科に在籍中
まだうら若き楽しい青春真っ盛りの方子さん٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

結婚と朝鮮王朝

いきなりここで衝撃的な出来事が…!

方子は避暑のため別荘へ
たまたま手に取った新聞を取ってみたら
その時はメディアもまだそんなに多様に発達してるわけではないので世間の注目や情報は新聞から得ますよね!

そんな記事に
自分の婚約が載っている

うそでしょ(  Д ) ⊙ ⊙!
自分の結婚を報道で知った16歳の夏!!!!!!!!!!!!!

大韓帝国の皇太子 李 垠(イウン)と婚約

では大韓帝国の当時の状況は?
大韓帝国が日本に併合されたことで国を失っている状態です
王族として李王家が作られ、日本によって身分保証されてました。
結婚は植民地となった韓国の反感を和らげようとする政略結婚でした。
ちょっと複雑な歴史背景ですね(O_O)

李 垠の父 高宗(コジュン)が死去した事で遅れましたが
1920年 20歳方子と李 垠の結婚が成立
20180110074037
1921年 21歳長男が生まれるも病死
10年後には次男が誕生

李 垠は陸軍大学校を経て軍人となり、方子はよく夫を理解して支えていました。
良き奥様です(´˘`)♡

貧乏と福祉に

1945年 45歳 終戦を迎えると
李 垠は王公族の身分を失う

李 垠は韓国への帰国を望みます。しかし新しく生まれ変わった韓国では王家の影響を疑う声が…。
方子達の帰国は歓迎されず

日本では邸宅や資産を売却し貧しく過ごします

1963年 63歳 韓国の帰国に認可がおりて渡ります
この時に国籍を韓国籍にして、帰化します。

方子は韓国では遅れていた心身障害児の教育や社会福祉事業に尽力

事業団体や慈恵学校と
心身障害施設 「明輝園」経営

その功績で勲章が贈られます

1970年 70歳 李 垠が他界
方子は日本には残らず韓国に残り、社会福祉に生きます

波乱万丈だった李方子もとうとう召され
1989年 89歳で方子 死去

関連書籍☆彡


李方子の生き方から学ぶ

皇族として一般的な女性とは全く違う状況で結婚。拒否権とか希望とかそーいったものはほぼ無くて、「結婚決定だから」と人が国が決めたなら嫁ぐしかない時代背景でした。そんな中で、旦那さんの国に行っても冷たい目で見られたり、王族だけど資産もなくなり、生活が苦しくなるというプリンセスとしてあるまじきような出来事や苦難に遭います。そんな自分たちの経験から、福祉に目覚めたのでしょうか?
韓国にて福祉事業に尽力します。旦那さんが亡くなってからも祖国とは違う土地で生き抜き、福祉に人に貢献したプリンセス。李方子だから出来た貫けたのかと思います。

李方子が亡くなったのはほんの30年前くらい。現在の日本と韓国に関する報道やニュースで不毛な議論がほとんどで見ていて悲しくなってしまいます。
もっと見ていて気持ちがよくなり、進歩的な、明るいニュースが2018には増えるといいなと思います。
天国にいる李方子は今、どんな気持ちで日本と韓国を見ているのでしょうか?

ではでは
ちゃおちゃお🐾

20180110201118
参考文献:お姫様図鑑/金の星社/ブレインナビ

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