まつ(芳春院) 人質生活15年 夫と子と家を守り抜く

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読んでほしい人
▷母として子どもに尽くしたい
▷妻として夫を支えたい

前田利家の妻、まつ

1547年 父  篠原主計(しのはらかずえ)のもと生まれます
読み方、難しすぎでしょ…w
まつの父は織田信長の家臣

まつの父はまつが4歳の時に死去
母の再婚など家庭がバタバタして、伯母の嫁ぎ先の前田利昌(としまさ)の元で育ちます。
まだまだ小さいのに大変だなぁ…。

1558年 12歳まつ 結婚
結婚相手 21歳 利昌の四男 利家(としいえ)

二人はいとこ同士
戦国大名のおしどり夫婦として有名で子どもは10人以上。
きっと温かい家庭だったんだろうな~

でも実は苦労時代もありました。

この夫婦は秀吉/おね夫婦とは仲良しだったらしく、味噌や醤油をよく貸し借りしてたらしい。
めっちゃ仲良しw
まつ、おねは生涯にわたる大親友になります。
私もちなみにルームメートに、めんつゆ借りたことありますが…。(全く関係ないが)

1583年 25歳  賤ヶ岳(しずがだけ)の戦い
豊臣秀吉VS柴田勝家
この時まつの夫 利家は主君の勝家側なんですね。
でも愛娘 豪姫は秀吉の養女。

迷うわ、迷うわ…….
秀吉とは仲良しだし、娘も秀吉側だし、でも旦那の主君は敵だし…。
結局、迷って戦局離脱。最終的には秀吉が勝利します。
これは確かに離脱してよかったと思う。

この時 まつは勝利した秀吉に直談判。
「ねえ?前に味噌貸したよね?夫の利家許して、借り返して!」
と言ったかは不明です、夫の利家の許しを求め成功します。
良妻すぎるw押して押して押しまくったんでしょうか…。

利家に旧領+加賀(今の石川南部)に領地を与えます。
そして尾山城(今の金沢城)にお引越し。

まつの夫 利家はケチまではいかないけど、いや、単刀直入にいえば、ケチ。
蓄財派の利家。

1584年 26歳 佐々成政(さっさなりまさ)が攻め込んできた時
まつは金銀の入った袋を出して、利家に対してこう言います。
「お金貯めこむんじゃなくて、大切な時に槍とか武器とか侍とかに充てろー!」

確かになんのために何のために利家は金貯めてるんだろう…、
でも夫の利家も常にケチケチしてたわけではなく、家来にお小遣い渡してたみたい。
信長の家臣時代、信長が結構お金で苦労してたのを知ってたので、あまり派手に浪費するタイプではなかったのかも!

1598年 醍醐の花見という
秀吉が企画の大イベントを開催。
ほぼ女性が参加者。
秀吉の側室 松の丸殿と淀殿が
どっちが先に杯を受けるか女のバトルに…。

この時 まつが「まあまあ」とか言って、その場を繕います。
わだかまりを上手くまとめるのが得意な人みたいです。

その年に秀吉が死去し、徳川家康と石田三成の対立に発展….。

1599年 旦那 利家も62歳で病死
ここでまつは53歳
出家 芳春院となります。

利家が息子 利長に、「3年は加賀に戻っちゃダメよー」と言ってたんですね。
そして息子の利長はこれを破って加賀に帰る。

家康にとってこれは好機。
「徳川家康を暗殺するために利長は加賀に戻ってきたんだ」とでっち上げます。

息子 利長
「や、やられたー!は、はめられたー!」という状況になります。

母まつは、息子のため、家を守るため、事態を収拾するため、人質として江戸に向かいます。
長い間囚われ15年の人質生活。

1614年 68歳 金沢に戻る
1617年 71歳で死去

関連書籍☆彡

まつの人生から学ぶ

まつの人生を振り返ると、大胆に秀吉に交渉したり人質として向かったり勇敢すぎて真似できません。まつのおかげで関ヶ原の戦い後も、生き延び加賀百万石と言われるようになったと言えるでしょう。武将だけの力ではなく、まつのソフトパワーが加賀を支えたんだと思います。

大切な夫や息子、家、城など自分を犠牲にしても守り抜こうとする姿は現在でもとても共感できます。
現在は一個人でもっと女性一人の人間として強く生きていく流れがあります。しかし妻、嫁、母、一国の城のサポーターとして命を懸けて守り抜いたまつの姿は、家を守る強い模範的な女性と言えます。

そして息子利長  気になる現在は?

ゆるきゃらになってます!

(注意:富山県 高岡市のキャラ)

ではでは
ちゃおちゃお
参考文献:お姫様 大図鑑 金の星社

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