藤原薬子 娘の旦那である天皇を利用し反乱を生んだ美人悪女

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どうもそんべんです(*’ω’*)
素晴らしい生き方をした人を尊敬しますが、でもやっぱり人間らしく欲にまみれた人間も大好きです。
聖女と共に悪女も惹かれてしまう…。うん惹かれるよ!

ということで今回も悪女紹介します笑!

実家の復活をもくろみ、天皇を誘惑。
一族の繁栄のために上皇を巻き込んで操り、権力を手にしようとする女。

読んでほしい人
▷ドロドロな関係が好きな人
小悪魔な女性を学びたい人
政治の裏でのスキャンダルが好きな人

藤原薬子

どんな人だったのか
生没年 不詳~810年

藤原薬子は名門の藤原種継の娘。
父 藤原種継は長岡京造営の陣頭指揮をとってました。

平城京⇒長岡京⇒平安京
の順で都が移ったんですね。
長岡京は10年しか機能してないとのこと。幻の都です!
これを詳しく書くと大変なので割愛。
その時 父 藤原種継はディレクターを頑張ってたとのことです。

父藤原種継 は権力を握り始めるやいなや、遷都に反対する勢力グループの早良親王派の貴族に暗殺される。
首謀者の早良親王派は捕らえられて流刑地で死去。
共謀した貴族たちも処刑される。
藤原家は別に何かの引き立てもなく没落してゆく。

誰か助けてやってよ…!
なんて可哀相なスタートなんでしょうか…!

藤原薬子の兄と娘 気になる家系

藤原薬子は藤原式家の藤原縄主(ただぬし)と結婚。
そして3男2女が生まれる。おめでと!

兄の仲成は薬子の長女を東宮安殿(とうぐうあて)親王の正室にします。
ちなみに東宮安殿(とうぐうあて)親王の父はあの有名な桓武天皇。
桓武天皇と言えば、遷都や蝦夷討伐などした人ですよね(超ザックリに言う。)

お家もいつまでも落ちぶれてはいられない!
さあ没落から脱するぞ…!という気持ちだったのでしょうか。

薬子の夫 藤原縄主は「だって宮中なれないしママといったほうが寂しくないよ☆」的なパパ発言から
娘の身を心配して薬子も付き添いとして一緒に宮中に行くことになります。

これが恐ろしい展開になっていきます…。

東宮安殿(とうぐうあて)親王は30歳位
内気、意志が弱い、ノイローゼ気味。

え、ある意味三重苦やん…。

本当は薬子の長女に目が行くはずだったんですよ。
皆そう信じてたんです。
ところが薬子に東宮安殿(とうぐうあて)親王は夢中に。

そして東宮安殿(とうぐうあて)親王は薬子を皇太子づきの女官
つまり東宮坊宣旨(とうぐうぼうせんじ)にする。

※東宮坊宣旨(とうぐうぼうせんじ)とは位の高い女官。
そして皇太子の命令を側近の人に伝えることをします。

これが父の桓武天皇の耳に入る。激おこ!!!
そりゃ怒るよ!

東宮安殿(とうぐうあて)親王はのんきで開放的な性格だったみたいで
薬子との仲を隠すわけでもない。

その時の宮中は割と恋愛は自由なんですが、それでも周囲から白い目が…。
夫 藤原縄主も状況をきき、恥ずかしさのあまり出仕できなくなる…。
父の桓武天皇は薬子に夫 藤原縄主の元へ帰るように言う。
息子の東宮安殿(とうぐうあて)親王の状況を聞き、薬子は宮中から追い出されてしまう。

しかし東宮安殿(とうぐうあて)親王は薬子を自分の別邸に移す。
そこへこっそり通っていたとのこと。

ホントこの人らどうしようもないな…。

役職は尚侍になった藤原薬子

806年 70歳桓武天皇の崩御。
東宮安殿(とうぐうあて)親王は平城天皇として即位。

今がチャンスとばかりに薬子を宮中に呼び戻す。
薬子カムバックです!

高位の女官である尚侍(ないしのかみ)と正三位の位階を与えられる。

ここから政治にどんどん仲介するんですよね…。
公然で平城天皇は自分の妻の母を寵愛する。
そして兄の仲成までが徴用され、中納言になる。
反対に薬子の夫は地方官として九州の果てに派遣される。

え、待って、夫はなにも悪いことしてなくない?

この藤原家の栄華は他の藤原一族との勢力争いの原因になる。
平城天皇の同母弟 神野親王と藤原北家(ほっけ)と冬嗣(ふゆつぐ)の陰謀がこっそりと進められる。
そして薬子たちの討伐を狙う。

薬子たちは薬子たちで平城天皇を操り、家の再興を目指します。
平城(へいぜい)天皇のノイローゼが悪化。

そりゃこんだけのメンバーがいたら気苦労多そうだな…。

凶作や疫病の流行を冬嗣たちは

天変地異は平城天皇が位を降りない限り続く

と言いふらす。
人々は混乱

異母弟の伊代親王に謀反の疑いが浮かびます。そのため幽閉します。
しばらくして親王は服毒自殺。

これを気にかけた天皇は伊予親王や早良親王の幻を見るようになる。
そして祟りが起こると言い出す。

マジでノイローゼ具合がやばい…。

自ら病を理由に平城天皇は退位して平城上皇になる。
弟の神野親王に天皇の位を譲ります。
嵯峨天皇ここで誕生です!

つまり呪いが怖いので天皇やめます…。

ちなみにめちゃ美文字な天皇です!
三筆の一人に数えられるほどの腕前!

しかし薬子と兄の仲成をあきらめなかった。というか怒った。
嵯峨天皇ってほかの藤原一族がサポートしてたんですよね。

809年平城天皇を譲位して上皇に。
もっかいまとめると
東宮安殿(とうぐうあて)親王⇒平城天皇⇒平城上皇

そして平城上皇は譲位をしたのがやっぱ悔やまれるのか
「都やっぱ奈良の平城京に移す」発言をします。
平城上皇が幼少時代を過ごした平城京へ移るとき
勅令を発する外記(げき)局も一緒に移す。
恩恵を得ていた者たちも味方につけた。

一方嵯峨天皇は平安京で、政治を仕切る。
2政府状態となった王朝。
それを穏やかにまとめる為、
平城上皇の動きを見る…。

天皇 VS 上皇 薬子の乱が起こる

薬子と兄の仲成は平城上皇の復権を目指して反乱起こす。
そうだ我らが平城上皇を応援するぞ!オー!
そして反乱の名は、薬子の変

なんと直球すぎる名前なんだ!

この反乱を予測して、準備していた嵯峨天皇の対処は本当に早い。
やってきた兄の仲成。
兄の仲成は捕らえられて処刑すると、坂上田村麻呂は主要な街道を抑えさせます。
脱出路を坂上田村麻呂にふさがれてしまうんですね。
坂上田村麻呂は初の征夷大将軍になった人として有名ですね!(教科書的に言えば)

怒った平城上皇は薬子と東国を目指して出発するけど、嵯峨天皇軍に邪魔される。

平城京に閉じ込められた平城上皇は観念して、出家。
藤原薬子は近くの民家に入り、用意してた毒で自殺。

40歳前後だった薬子。

関連書籍☆彡

藤原薬子の生き方から学ぶ

今でいえば小悪魔という言葉で表現できるでしょうか?いや出来ないと思う。
美貌について書いてある文献があんまりないのですが、きっと美しかったであろう表現が何か所も出てきます。
この時代、天皇の位をめぐって親戚同士敵対視することがおかしくなかった時代。薬子の変も別にこういった内輪のもめごとはよくある話だとは思うんですが、ここで特殊なのが薬子の存在なんですよね。
個人的には私は薬子は兄とともに権力欲におぼれたのは家を守るためだったし、仕方がなかったのかなとも思います。
どんな手段を使っても家の再興を図るそしてのし上がる…。強欲な気持ちと家を守る気持ちがなければ
政治を巻き込んだ反乱も死者も出なかったはずです。
綺麗だから、名門の家に生まれたからだけじゃなくて、もっと人間の欲を出しまくった生き方に
真似はできないけどどこかやっぱりあこがれてしまいます。

ではでは
ちゃおちゃお🐾

参考文献:惨くて美しい世界の悪女・妖女辞典/世界の悪女研究会編/永岡書店
世界の「美女と悪女」がよくわかる本 /島崎晋/php文庫
乙女でだとる日本史/山名美和子/だいわ文庫