苦労と忍耐を超えて70代でやっと夢を叶えた農民作家 吉野せい

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どうもそんべんです!

自分には叶えたい夢がある。
この人が邪魔しなければ、もっと近づいて夢がかなったはずなのに。
どうしてこんなに夢が遠いんだろう?

そう感じている人はいませんか?

実はそうもどかしい気持ちで夢に対して
歯がゆい思いをした人がいます。

吉野せい

どんな人生だったんでしょうか?

作品が映画化に『洟をたらした神』 吉野せい

1899年 福島県石城小名浜長下町の網本の家にて誕生

吉野せいの生まれた家は綱元でしたが、その頃はすでに没落中。
不遇な運命の中で幼少時代を過ごし
町立小名浜小学校から高等小学校に進学
まず小学校に行けたことだけで当時は幸運だったといえるんですね。

小名浜郵便局の電話交換手を一年勤務。
そしてなんと小学校準教員の試験に合格。

これ当時は本当にすごいこと!

福島県下で合格した女性はたった一人ということで話題に。

そんな話題人物である吉野せいの関心は文学

1916年 17歳で山村暮鳥や室生犀星の起こした雑誌に短歌や散文を投稿。
なかなかこんな高尚な17歳いませんね!

しかし教師という職は吉野せいに合わなかったらしく、1917年に辞めています。
私だったら話題も集めたし、せっかく合格したし
という理由でズルズル続けますね!

山村暮鳥経由で吉野せいに来た原稿の依頼が来ます。
しかし山村暮鳥の判断で勝手に断られてしまいます。

おーい!勝手に断るなよ-!!!

吉野せいは若いうちに作家としての夢が閉ざされたんですね。
今みたいに個人で発信するベースが整ってないし、都会に住んでるわけでもないし、
コネないし、まして女だし…。

また小名浜小学校に准訓導として勤め始めます。
高いレベルの文才を認められる発表もない中で、
図書館が都会みたいにそろっているわけでもない中で、
ひたすら読書に励みます。

でもチャンスはやってきます。
矢代義定(やしろよしさだ)という人の書庫静観室が吉野せいのために開かれるのです。

この時吉野せいは八代に恋心を抱きますが、八代は妻帯者。
八代の紹介で三野(みの)という人と結婚
三野とともに近くにあった菊竹山に入り開拓する生活が始まります。

好きな人が違う相手を紹介。これもまた複雑な気分ですよね。

しかもなんで好きな人の紹介と結婚して開拓生活なのw
ロマンチックな雰囲気せめて体験したかったw

…と私なら嘆く。

詩人 三野混沌と結婚 後に『暮鳥と混沌』作品に

吉野せいは7人の子供に恵まれます。
子供たちは冬以外は素足で駆け回る。
食事は質素でおかずは菜の花でした。
おもちゃとも無縁…。

ポジティブに言えば大変エコな生活を送ってたんですね。

吉野せいは夫の三野と一緒にずっと農業に励んでいました。
くたくたに働きながら、夫婦は文学と文学仲間を忘れずにいます。

しかし夫婦の間に矛盾が激化…。
夫は仲間を呼んで文学抗議に熱中、だけど吉野せいは仲間に加えず。
代わりにもてなす酒や食べ物を用意するだけ。
夫は労働運動に夢中になり畑を行かなくなっていきました。

私、パシリじゃないんだけど!というか畑でせめて働け!
と私なら激オコ。

1935年 36歳 夫の三野は特高に逮捕される。

だから言わんこっちゃない!

そして今は戦時下…。
戦中、吉野せいはなしを育てて生き延び
戦後、食料もなくなり、都会からの買い出しの客に梨を売りました。

公定価格は五十三銭と決められていましたが、
それでは生活ができません。
公定価格よりも高く梨を販売したことが警察にばれてしまうのです。

戦後 夫の三野は農地解放運動に奔走
吉野せいは40代後半から70代まで吉野せいは息子たちと畑を守ります。
マジで畑と家族守ってほしい…。

夫の三野が71歳にして死去

振り返ってみるとこの夫婦は自然の中にいても、
楽しく時間を過ごすことは皆無。

晩年は気持ちがすれ違うことが多かった…。

夫の死をきっかけに休めていた筆を動かし、
執筆活動に取り組みます。

1974年 75歳の吉野せい 『洟をたらした神』の名で世に名をしらしめます。
田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞

おおー!夢はかなうものですね

副賞ででスイス、イタリア、フランスを2週間旅行する
帰国後は健康はすぐれず

1977年 78歳で死去

受賞をきっかけに多忙に、その要求に応じなければいけないため病に倒れたと
吉野せいを作家として世に出した串田孫一は記しています。

明治時代では全人口の80%は農民
昭和の戦前でも農業人口は50%超え

農民たちは筆を持たず、農民のリアルな風景が文学の主流になることは皆無でした

吉野せいの生まれた小名浜は原発事故後、漁業が困難に。
現在、ロシアへの中古車積出港になっています。

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吉野せいの生き方から学ぶ

自分には才能があるのにこの人がいなければ、邪魔しなければもっと夢に近づくのに。
吉野せいは実際に10代で他人にチャンスを一度奪われてしまってます。
けどずっと恨むだけじゃなくて、自分の文才を開くチャンスを探してたんですよね。
本当に文才が認められたのは70代。
長い長い道のりですよね。

人生100年時代に突入し、そしてどんどん若くして夢を叶えている人もたくさんいます。
だけどまだ人生50年そこらの時代で70代でやっと夢がかなった人もいるんです。

逆に吉野せいが10代でチャンスをものにしていたら?
また違ったと思います。

何十年もの苦労と文学への気持ちで作れた作品です。
人に邪魔されず若くして成功したからいい、そうではなく邪魔されてもずっと熱い気持ちを持ち続けることが大切ですね。

ではでは
ちゃおちゃお🐾

参考文献:女のきっぷ 森まゆみ 岩波書店