こんにちは、そんべんです(#^^#)!
気づいたらいつも付き合ってる人がいるという人はいませんか?
恋愛至上主義だよ!恋してないと女としての人生楽しめてない気がする。
結婚とか安定とかじゃなくてリスキーな恋がしたい
そんな人いませんか…
読んでほしい人
▷常に恋愛してないとダメな人
和泉式部
さらっといえばそんな人
恋一筋に生き多くの和歌と『和泉式部日記』を残す
三十六歌仙の一人
978年 父 越中守 大江雅致(まさむね)
母 越中守 平保衡(やすひら)の女
幼い頃は御許丸(おもとまる)と呼ばれ
後に江式部と呼ばれる
両親 冷泉帝の皇后 昌子に仕える
後宮のサロン出入り
百人一首と和歌の才能
持ち前の美貌と和歌の才能が磨かれます
実は和泉式部は歌人としての才能が!
当時の文学界の実力者
紫式部や伊勢大輔と交流
赤染衛門と歌のやりとりを
という平安時代を代表するそうそうたるメンバーと仲良くします
歌人として『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』など200以上の歌が取り上げあれ
多くは恋愛の歌
今でいう新旧歌うまBest 36
中古三十六歌仙の一人 藤原公任(きんとう) から絶賛される
996年 18歳夫 和泉守 橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚
娘 小式内侍(歌人)
和泉は現在大阪府南部
夫の官名により和泉式部と呼ばれることに。
この当時って女性に名前がちゃんとあるわけではなく、お父さんの名前、夫の名前、役職の名前を拾って
つけちゃうこともよくある話。
うんうん、楽しい結婚生活になるといいな。
でも和泉式部が落ち着いた生活にを送るとも思えない。
やっぱり今まで恋愛中心に考えていた人がいきなり落ち着くとも限らないな。
恋愛と浮かれ女
1000年 22歳 冷泉帝の皇子 為尊(ためたか)親王と恋に落ちる
仲良しの赤染衛門から止められる
為尊(ためたか)親王は今まで何人もの女性との恋愛を楽しんでいたタイプ
世間から身分違いの恋愛だと批判をくらう
しかも父から勘当。夫と離縁に。
夫が何よりも犠牲者…。
出会って2年で尊為(ためたか)親王は26歳で死去
えー、今まで世間に批判受けても耐えたのに!!
死ぬの早いよ…!
恋愛にも懲りたからちょっと落ち着いて一人でいようかなとか
1㎜も感じることなく
1003年25歳 なんと親王の弟 敦道(あつみち)親王と恋に落ちる
え!?弟のほうに行ったの?|д゚)
これも周囲から大反対。
結婚してるけど親王と恋愛をして、しかも親王が無くなった矢先に
また恋する…。
でも当の本人二人はそんなことにも気にせず
この恋愛に熱く燃え上がります。
2人だけの世界に突入
多くの贈答歌を読み送ります。
1004年 26歳 和泉式部を自宅に住まわせる
親王の王妃の気持ちも複雑…。
「もう無理ー!なんでこんな女が出てきてんのよ!」
「てゆーかなんで住むのー!?私の立場考えてよー!」
と愚痴ったに違いありません。
親王の王妃はいたたまれず?怒って?家を出ます。
これにより更に世間から非難増えます。
確かにごもっともな批判…。
1005年27歳 石蔵宮(僧 永覚)出産
紫式部と藤原道長から
1007年29歳 親王病死 皇子とともに親王の屋敷を後にします。
喪服の時に『和泉式部日記』を書いたらしい。
そうあの有名な『和泉式部日記』
時の権力者、泣く子も黙る藤原道長
その藤原道長のすすめで中宮彰子の女房としてお仕えし始める
1013年 40歳藤原保昌とトドメの再婚
宮中をやめて夫の仕える国へGO☆
まだまだ恋愛に懲りない和泉式部。
藤原保昌は道長の家司(貴族の家で働く官吏)
丹後国へ藤原保昌とはうまくいかず…。
やっぱり天性の恋愛癖は出てしまうのでしょうかね。
結婚がもう無理そうな感じが…。
道長からは「浮かれ女」
今でいう小悪魔的な魅力を持つ女性だったのでしょうか。
紫式部は一条天皇 中宮彰子の下 和泉式部と一緒にお仕えしてました
つまり同僚。
そんな紫式部から
「趣深い手紙のやりとりあった。恋文や和歌はとても素晴らしいと思う。
でも恋愛の素行は感心しないな。」
ばっさり切られてます。
やっぱり批判に世間に疲れたのか
現代人も心が疲れるとやはりスピリチュアルな世界に行きたくなりますよね
和泉式部も晩年は仏教にはまる。
僧から受けた袈裟を着て命を終えたとか。
晩年はよく分かってない。
和泉式部からの生き方から学ぶ
常にだれかと付き合ってないと生きていけないような人。常にだれかいないと変な気分になるのか。
恋愛に依存してる人だったのか。
もう天性なので男性その気にさせるような小悪魔的な女性なのか。
現代でもそういったタイプの女性はいますね。男性ゴコロをよく抑えている。
男性側でも騙されてもなんとも言えないそんな悪魔的な女性だったのか。
悪い方向にいくと詐欺とかいっちゃいそうな人です。
和泉式部も美貌と才能を武器に恋愛に謳歌した女性です。相手もしかも親王兄弟を相手にする。
父と夫が元を離れても、恋に生きる。
昔の宮中を想像すると、そういったうわさは面白がってすぐ広がったんじゃないかと思います。
自分の立場だって宮中にあったわけなのに、自分の気持ちにまっすぐだったかもしれません。
常にだれかいて当たり前、いない状態がおかしいというのであれば、
勇気をもって少し一人でいる状態を確保するのもいいのかもしれません。
さみしさから他の人、更に他の人と変えているうちにさみしさを埋める。
本当に依存症になって、キレタ状態だと動かなくなってしまう。
それは和泉式部を経験してたのかも。
だから仏教で心を落ち着けようとしたのかもしれないですね。
みなさんは恋愛に依存してないですか?
最後に有名なこの歌を
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな(もうすぐ私は死んでしまうでしょう。
あの世への思い出にもう一度お会いたい。)