どうもそんべんです(^^♪
相も変わらず歴史の本ばかり読んでいます。
そんな中でご紹介したい人
豊かな時代を作り出した日本初の女帝
推古天皇
どんな人だったんでしょうか?
天皇家に生まれて
554年生-628年没
父は欽明天皇、母は堅塩媛(きたしひめ)
『日本書紀』によると
- 顔立ちが整う
- 美しい
- 礼儀正しい
- 慎みがある
幼い頃は額田部皇女という名前でした
572年 18歳 渟中倉太珠敷(ぬなくらのふとたましき)皇子と結婚
おめでとう(^▽^)
576年 22歳旦那さんは敏達天皇(びだつてんのう)になる
皇后になります(^^♪
そして2男5女生まれる
おお!今のとこ順調じゃないですか!(^^)!
旦那の死去と蘇我馬子
585年 31歳
旦那の敏達天皇(びだつてんのう)が続いて即位するんですが死去
お兄ちゃんの用明天皇も2年ほどで病死
うわわ…うまくはそういかないのか…
後継をめぐり、当時に大豪族である蘇我馬子と物部守屋が対立
対立はほかの豪族や他の皇族を巻き込み、大きな戦になります
なんだか戦ばかりでつらいな…。権力争いは昔も今も変わんないですね!
蘇我馬子は叔父さんです☆
激戦に!
蘇我馬子が勝利、そして権力を握る
やったぜ!!!!!!!!!!!と踊ったに違いない!きっと!
そして泊瀬部(はつせのべ)皇子を崇峻(すしゅん)天皇として即位させます
即位から5年後 馬子と対立した崇峻天皇(すしゅん)は暗殺される
犯人は…。
史上初の天皇誕生
天皇となる竹田皇子は若かったので馬子の推薦を受けまして
「YOU、天皇なっちゃいなよ☆」みたいなノリで言ったんでしょうか?
その母である推古天皇が中継ぎとして即位
600年 46歳竹田皇子が死去
推古天皇はその地位を長く維持することになります!
よかったね(^^♪
推古天皇の甥っ子、つまり娘婿の聖徳太子が皇太子に
天皇を補佐する聖徳太子を摂政にします
超できる甥っこ聖徳太子
権力者である叔父 蘇我馬子 政治を支える基盤になる
もう最強じゃないですか!!!
聖徳太子は憲法17条、冠位十二階を制定
法や政治の仕組みを整えることを頑張ります
中国を統一した隋に制度や文化を学ぶため遣隋使を派遣
「YOUたち行ってきなYO☆」ってことで!
その時の中国の勢いはすごいですもん!学ばないと!
多くの留学生や学問僧が隋にLet’s go☆
仏教を振興
四天王寺や法隆寺を建立します
叔父の蘇我馬子と甥の称徳太子に命じて
歴史書 『天皇記』『国記』も編纂
平和な時代で飛鳥文化が充実していた世の中だったんですね
628年 74歳 病死
推古天皇の生き方から学ぶ
天皇は男性であることが当たり前。そして世の中は男性が中心。
そんな中で推古天皇は女性として初めて天皇に選ばれトップに立ちます。
今でさえ、女性が管理職に立つ、役員になることがニュースになるような日本です。
当時だと女性が天皇に立つなんてどれだけの騒ぎだったのかなと想像してしまいます。
長い長い日本の歴史の中で女性が上に立つことに許容できない社会でいまだにそこは根本として変わってません。
努力はしてるけど、目に見えて顕著化と言われたらそうは思えません
。
今、会社で部署で管理職になる
。そして執行役員になるそのことにためらい、悩んでいる人。
そして男性の上に立って、まとめ上げなくてはならない人。
トップに立つのって勇気がいるし、物怖じしてしまいますよね。
でも実際に過去に歴史にトップになりまとめあげて、
日本を安定させて平和を作った女性がいるのは事実です。推古天皇なら今の日本を見てるでしょうか?
飛鳥時代と女性の対応変わってないね。なんていうでしょうか?
ではでは
ちゃおちゃお🐾
参考文献:お姫様図鑑/金の星社/ブレインナビ
ヒロインの日本史/梓沢要/ベスト新書
日本史ヒロイン1000人/小穴康二/世界文化社