額田王 もしも天皇2人に愛されたなら 古代ロマンスのヒロイン

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お願いだから、わたしのためにケンカしないで!!!

こんなセリフ言ったことありますか?

私はまだ無いです。(これから言うことも多分ないとは思いますが…。)嘗てこんな事を言ったであろう方がいました!

額田王(ぬかたのおおきみ)

豪族の鏡王(かがみのおおきみ)の娘として近江(現在の滋賀県)で誕生

女官として働くうちに大海人皇子(おおあまのみこ)に愛されます。
ちなみに皇極天皇の息子です。
後に十市皇女(とおちのひめみこ)出産

額田王はなぜそんな名を残すことに?

実は歌がとても上手なんですね。

夫の大海人皇子(おおあまのみこ)とは相思相愛でしたが
夫の兄 天智天皇(645年 大化の改新で勝った中大兄皇子)は額田王が好き。

それを聞いた夫の大海人皇子(おおあまのみこ)は兄である天智天皇に妻の額田王を献上。
え?妻を献上?

当時の天皇一家は権力闘争で肉親の殺害は日常茶飯事
しかも夫の兄 天智天皇はかなり容赦ない性格でした。

夫の大海人皇子(おおあまのみこ)のため
額田王は夫の兄である天智天皇のもとへ行くことに。

障害があると、気持ちは燃え上がるわけではないですが、気持ちを止めることは出来ずして歌に残すんですよね。

あかねさす 紫野ゆき 標野(しめの)わやき 野守は見ずや 君が袖振る

雑訳:夜明けて、茜色に染まったのを帰って行くあなた。野原の番人が見るかもしれないでしょう、そんなにこっちに向かって手を振ったなら…

それに対し 元夫の大海人皇子(おおあまのみこ)

紫の にほへる妹を 憎くあらば 人嬬ゆえに 我恋ひめやも

雑訳:あなたのことが憎いと思っているでしょうか? いやあなたが他の人の奥さんだからこそ更に愛しいです

堂々と返歌してくるんでうよね。
その歌は国家プロジェクトの『万葉集』に収録

本当にこんな微妙な関係だったかはこの歌以外に証拠がないので、分かりません。

この歌は668年ごろに出来て、舞台は現在の夫天智天皇が主催する狩の場だったそうです。

年齢不明な点が多くて推測ですが、
元夫の大海人皇子(おおあまのみこ)はアラフォー、額田王は20後半〜30くらいと推定。

ちなみに当時の平均寿命 なんと30歳位
そんな年齢でこんな恋愛関係にいたるのかなー?と疑問視の声が。他にも色々難しい学説はあります。
ここまで堂々とした三角関係もすごいですよね。

この三角関係が672年 壬申の乱につながったとも
(現在の夫 天智天皇の息子 大友皇子VS天智天皇の弟 大海人皇子(おおあまのみこ))

つまり甥とおじさんの戦い
ちなみに元夫 大海人皇子の勝利

そして天武天皇になる

ここで言います!
「私のために戦わないでー!」多分ここで額田王は言ったはず…。

その後 甥っ子 大友王子は負けて自殺

ちなみに大友王子の奥さんは額田王と大海人皇子(おおあまのみこ)の間に生まれた十市皇女
十市皇女は自分の夫を自殺に追い込んだ 大海人皇子(おおあまのみこ)を憎み苦しみ、自分も自殺へ
額田王は自分のせいで娘婿も最愛の娘も失って悲しみにくれたでしょう。

奈良時代はおじさんと姪 、おばさんと甥の結婚、母親が違えば兄と妹の結婚は可能。
今よりかなり自由でした。

額田王は愛されたがために夫とその兄と権力闘争と愛情がぶつかり
悲劇が生まれ、政変になり、日本を動かしてしまった額田王

母として妻として嫁として、どの立ち位置に立つか難しいですよね。
歌から溢れる額田王の才能に二人の天皇そして日本の政治も揺るがした。
モテる女性はたくさんいるけど、これくらいのスケールのモテ方は殆どいませんね。

ではでは
ちゃおちゃお

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参考文献:お姫様大図鑑/金の星社
乙女の日本史/滝乃みわこ 堀江宏樹著/角川書店