清少納言 ブログは私から始まった 日本最古の女性ブロガー

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こんにちはー!そんべんです(*^▽^*)

記念すべき第1人目は

ジャーン
清少納言です💁‍♀️💁‍♀️💁‍♀️

よく本で見るのは
日本最古の随筆を書いた女性として有名です。

随筆とは

「心に思い浮かんだことや、見聞きしたことの感想などを、自由に書いた文章。エッセー。」

小学館 例解学習 国語辞典 第七版より引用

これって、
今で言えば、平たく言えば、
ブログでいいですかね?笑
ブログとエッセーの定義わかんないですけど笑🙋🏼‍♀️

とりあえず彼女がどんな人か、さくさく見てみましょう😄

幼少期から文学少女 清少納言

966(康保3年)生〜1025(万寿2年)没
出生地:平安京(今の京都)
本名:不明(諾子なぎこ)
身長:146㎝(当時平均146-151㎝くらい)
外見:わりと小柄、黒髪、目はクリクリな感じ、色白、丸顔
性格:個性的、わりと好き嫌い激しい、外交的
百人一首の歌:夜をこめて、鳥の空音ははかるとも、世に逢坂の関はゆるさじ

なんだか身の回りにいそう笑🧐🧐🧐

父 清原元輔 5人めの子として生まれる
元輔パパはわりとおじいちゃんくらいの歳で清少納言を授かってるんですね!

この清少納言の清は清原の清少納言は貴族の地位をあらわします。
でも清少納言の近くに少納言の人はいないので、
なんでこの名前に、なったかはまだ謎🙁

この時点では清少納言とはよばれず、宮仕えの時に使い始めたようですね!

そして清少納言の家は
あんまり裕福な貴族ではありません💰

けど元輔パパはかなり腕のいい歌人で
お家にもたくさんの歌集がありました。

『古今和歌集』や『万葉集』 など
家に一流の書籍があるので、
元輔パパの影響も受けて
清少納言も文学に興味をもち、
徐々に文学少女に📚

981年 16歳のとき 橘則光(たちばな のりみつ) と結婚
あだ名は勝手にミッツと命名( ˘ω˘ )

ちなみにミッツは清少納言と同じくらいの家柄の貴族です。

このころは10代なかばでの結婚が普通の世の中

982年 17歳  息子 則長(のりなが)生まれる
なんだかんだ2人の男の子に恵まれますが
991年 26歳  ミッツ(則光)と離婚

ミッツとは結構仲よかったらしいんですが、
ミッツは割と剣振るうし馬にも乗るアウトドア派🐴🐴🐴
清少納言は読書大好きインドア派📚

うま🐴が合わなかったのかな?

でもこの頃は
清少納言は宮中でも才女として
評判が立ち
さすがパパが元輔だわ!とかさすが清少納言!

騒がれつつあったから
もしかして自分の才能と知識を活かしたかったのかな( ˘ω˘ )
バリバリにキャリア積んだるで!とか思ってたのかな

ここから転機です✨

一条天皇 中宮定子と『枕草子』

993年 一条天皇 中宮定子に宮仕え開始
後宮に上り、
宮廷女房としてお仕えしました。
その頃
『枕草子』を書き始めます。

ちなみに300以上の章段があり
三部にざっくり構成
1.宮廷での生活
2.自由な感じで自然や人の印象・感想
3.自然や人生などの趣深い考えものずくし(これが50%以上)

ちなみに清少納言は著書の中で

上品な食べ物として
カキ氷を挙げてます

🍧😶🍧🤩

え?カキ氷?

🍧🍧🍧🍧🍧🍧🍧🍧

なんでだー!

そう、カキ氷は冬に自然とできた
氷を蓄えて夏に取り出して食べるので
高貴な人しか食べられないんですよね!

今は冷凍庫もあるし
コンビニもスーパーもあるから
保存に困らないけど

当時の人はそりゃ
食べれないか!なるほど!

清少納言は宮仕えに
最初から割とスムーズに慣れていきます!
周りの人が心配りしてくれたり
やはりそれだけ名が知れ渡っていたのもあり
尊い定子様も気さくに声をかけてくださるので
出だし好調な清少納言でした笑😛

でもさすが後宮
ストレス半端じゃない笑😱😖😡

それもそのはず
朝廷には毎年300近くの行事儀式があり
ちょっとでも間違えると
恥かくわ、出世に響くわ、
もー大変😱😱😱

貴族といえば、
蹴鞠で遊んで
歌詠んで
めっちゃ楽しそう🤪😏🤪なイメージ

だけど
実際うまくできないと
白目むかれ
バカにされる笑

怖ッッッッッッッ笑😱😱😱

『枕草子』と

もともと『枕草子』のネーミングについて

定子の兄 伊周(これちか)から
草紙(メモ帳)をもらい
定子は清少納言に尋ねます

定子:ねーねー、清少納言〜、お兄ちゃんからメモもらったんだけど、どーしよー
清少納言:枕がよろしいかと
(枕=いつもそばに置いて思いついた事を書いたら?)
定子:えー、なら清少納言にメモあげるねー💛
私文字よくわかんないし、使って使って!
清少納言:え?マジ?

ってな感じで枕草子スタート😎

別に公開用ブログとしてメモした訳ではなく
偶然見つけられたので、皆が知るようになるという。

個人情報保護法とかなんもない笑
発見者も絶対最初は「ナニコレ🤨🙃!!」感覚だったはず笑

しかし

幸せな宮中生活も翳りを見せはじめ、
政治状況が悪くなり、定子の後ろ盾が、地盤が、弱くなります。

中宮定子様が第2皇女を出産後 翌日
24歳で逝去
納言ショックショックショック(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

定子様の一周忌後を機に
宮中を離れます

心境としては、どうだったのかな
働く場所失った?
10年も仕えてた定子様の悲惨さに痛んだ?
今なんも考えられない?

1000〜1001?
36歳  年配者 藤原棟世(むねよ)と再婚
あだ名はムネリンと勝手に命名🤫

ムネリンは国司に任命され
摂津(大阪)でくらします
ムネリンとの間には
女の子 小馬命婦(こまのみょうぶ)
をもうけ、

『枕草子』がほぼ完成
だけどここでもムネリンと離婚💔💔

父 元輔パパの山荘でひっそりと過ごし始めます。
晩年 剃髪して
京都 東山の山荘にこもり
見た目も心もボロボロ

栄光をふりかえりつつ
現在の我が身を嘆いたとのこと
享年60

関連書籍☆彡

清少納言の生き方から学ぶ

20代で元輔パパは亡くなるし
なかなか結婚生活とか上手くいかないこともあったり
お仕えして姉のように慕ってくれた定子様が亡くなる

結構波乱万丈

でも彼女がへこたれず、自分の感じたことを好きなように書き続けたい気持ちがインドア派の彼女を支え続けたのかなって思います。こんだけ身の回りで悲しいことあれば辛いことがあったら
私だったら外でたくなくなるな〜。
あっ、彼女も外でてないか笑

一生書き続けた彼女のブログ愛
彼女がいなかったら、日本にもこんなにたくさんの素晴らしい作品が後世に産声をあげなかったはず。

かな文化がここまで発展しなかったはず。
エッセーひいてブログも生まれなかったかも?🤔🤔🤔

私もとりあえずコツコツ書こうーっと!

ではでは
ちゃおちゃお🐾

参考文献 :「紫式部と清少納言」監修著:酒寄雅志、小西聖一
     「日本史有名人の身体測定」著:篠田達明

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