清少納言 ブログは私から始まった 日本最古の女性ブロガー

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読んでほしい人
▷離婚と再婚した人
▷真の成功を考えたい人
▷文章を書くのが好きな人

清少納言

日本最古の随筆を書いた女性として有名です。

随筆とは

「心に思い浮かんだことや、見聞きしたことの感想などを、自由に書いた文章。エッセー。」
小学館 例解学習 国語辞典 第七版より引用

現代でいえば、ブログに近いでしょうか?
どんな人生だったんでしょうか?

幼少期から文学少女 清少納言

966(康保3年)生〜1025(万寿2年)没
出生地:平安京(今の京都)
本名:不明(諾子なぎこ)
身長:146㎝(当時平均146-151㎝くらい)
外見:わりと小柄、黒髪、目はクリクリな感じ、色白、丸顔
性格:個性的、わりと好き嫌い激しい、外交的
百人一首の歌:「夜をこめて、鳥の空音ははかるとも、世に逢坂の関はゆるさじ」

こんな女子、周りになんだか身の回りにいそう笑

父 清原元輔 5人めの子として生まれる
父の元輔はわりとお爺さんくらいの歳で清少納言を授かってるんですね!

この清少納言の名前に関して、少納言は貴族の地位をあらわします。
でも清少納言の近くに少納言の人はいないので、
なんでこの名前に、なったかはまだ謎

この時点では清少納言とはよばれず、宮仕えの時に使い始めたようですね!

そして清少納言の家は
あんまり裕福な貴族ではありませんでした。

しかし父の元輔はかなり腕のいい歌人で、家にもたくさんの歌集がありました。
『古今和歌集』や『万葉集』 など一流の書籍が家にあるので、父の元輔の影響も受けて
清少納言も文学に興味をもち、徐々に文学少女になっていきます。

981年 16歳のとき 橘則光(たちばな のりみつ) と結婚

ちなみに夫の則光は清少納言と同じくらいの家柄の貴族です。
(※この頃は10代なかばでの結婚が普通の世の中)

982年 17歳  息子 則長(のりなが)生まれる
2人の男の子に恵まれますが
991年 26歳 夫の則光と離婚

夫の則光とは結構仲よかったらしいんですが、
則光は割とアウトドア派(剣振るうのが好き、馬にも乗るのも好き)
清少納言はインドア派(読書が好き)

馬が合わなかったのかな?

でもこの頃は
清少納言は宮中でも才女として評判が立ち
「さすがお父さんが元輔だけあるわ!」とか「さすが清少納言!」騒がれつつあったから
もしかして自分の才能と知識を活かしたかったのかな…。
「バリバリにキャリア積んだるで!」とか思ってたのかもしれません。

一条天皇 中宮定子と『枕草子』

993年 一条天皇 中宮定子に宮仕え開始
後宮に上り、宮廷女房としてお仕えしました。
その頃『枕草子』を書き始めます。

ちなみに300以上の章段があり
三部にざっくり構成
1.宮廷での生活
2.自由な感じで自然や人の印象・感想
3.自然や人生などの趣深い考えものずくし(これが50%以上)

ちなみに清少納言は著書の中で

上品な食べ物として
カキ氷を挙げてます

え?カキ氷?

カキ氷は冬に自然とできた
氷を蓄えて夏に取り出して食べるので
高貴な人しか食べられないんですよね!

今は冷凍庫もあるし、コンビニもスーパーもあるから、保存に困らない。
当時の人はそりゃ食べれないか!なるほど!

清少納言は宮仕えに
最初から割とスムーズに慣れていきます!
周りの人が心配りしてくれたり、
やはりそれだけ名が知れ渡っていたのもあり
尊い定子様も気さくに声をかけてくださるので
出だしは好調な清少納言でした。

でもさすが後宮…ストレスが半端じゃない!

それもそのはず
朝廷には毎年300近くの行事儀式があり
ちょっとでも間違えると恥かくわ、出世に響くわ、
もー大変!!!

貴族といえば、蹴鞠で遊んで、歌詠んで、めっちゃ楽しそうなイメージがあります。
しかし実際うまくできないと白目むかれ、バカにされる…。

ちなみに『枕草子』の由来ですが

ある日、定子の兄 伊周(これちか)から草紙(メモ帳)をもらいます。
定子は清少納言に尋ねます。

定子:ねーねー、清少納言〜、お兄ちゃんからメモもらったんだけど、どーしよー
清少納言:枕がよろしいかと(枕=いつもそばに置いて思いついた事を書いたら?)
定子:えー、なら清少納言にメモあげるねー!文字よくわかんないし、使って使って!
清少納言:え?

ってな感じで枕草子がスタート

別に公開用ブログとしてメモした訳ではなく
偶然見つけられたので、皆が知るようになるという。
個人情報保護法と無縁の世界ですw

しかし幸せな宮中生活も翳りを見せはじめ、政治状況が悪くなり、清少納言のお仕えする定子の後ろ盾が弱くなります。

中宮定子様が第2皇女を出産後 翌日に24歳で逝去。
清少納言はかなりのショックを受け、定子様の一周忌後を機に宮中を離れます。

1000〜1001?
36歳  年配者 藤原棟世(むねよ)と再婚

現夫の棟世は国司に任命され、摂津(大阪)で暮らします。
現夫の棟世との間には女の子 小馬命婦(こまのみょうぶ)が生まれます。

『枕草子』がほぼ完成ですが、ここでも現夫の棟世と離婚

父の元輔の山荘でひっそりと過ごし始めます。
晩年は剃髪して京都にある東山の山荘にこもります。
見た目も心もボロボロ、栄光をふりかえりつつ、現在の我が身を嘆いたとのこと…。
享年60

関連書籍☆彡

清少納言の生き方から学ぶ

20代で父の元輔は亡くなり、なかなか結婚生活とか上手くいかないこともあり、お仕えして姉のように慕ってくれた定子様が亡くなる。結構波乱万丈な人生でした。
でも清少納言がへこたれず、自分の感じたことを好きなように書き続けたい気持ちがインドア派の彼女を支え続けたんだと思います。一生書き続けた彼女のブログ。清少納言がいなかったら、日本にもこんなにたくさんの素晴らしい作品が後世に産声をあげなかったはず。

かな文化がここまで発展しなかったはず。
エッセーひいてブログも生まれなかったかも?

ではでは
ちゃおちゃお

参考文献 :「紫式部と清少納言」監修著:酒寄雅志、小西聖一
「日本史有名人の身体測定」著:篠田達明