マリアトラップ 戦時中に音楽に生き 家族と夢を追い映画化に

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読んでほしい人

▷夢や情熱を追い求めている人
▷行動力が欲しい人
▷いつでも明るくなりたい人

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星がなかったからか鶴が代替に…笑
誰が置いてくれたんだろうか…

クリスマスといえばキリストの誕生祭キリストの母といえばマリア様
マリア様つながりで音楽のマリア様こと

マリア・フォン・トラップ

サウンド・オブ・ミュージックの主人公です!

私も初めて見たのはピアノの練習の時だったかなぁ
この映画は作り物ではなく、実際にいた家族と音楽、愛をテーマにした映画です…

サウンド・オブ・ミュージックの主人公 マリア

1905年  マリア・フォン・トラップが夜中の汽車の中で生まれる
生まれた場所からすごすぎるw

1907年 2歳で母が死去。親戚に育てられる。

1911年 6歳ごろ 忙しい海外出張の父とたまに会えるように
愛情を与えてくれる良きお父さんですね。

1914年 9歳の時 父死去

マリア・フォン・トラップは辛さを忘れるため
讃美歌を歌いますが、新しい保護者はそれを快く思いません。

1919年 14歳 嫌な家から離れ
先生になるため、ウィーンの郊外でアルバイトして稼ぎ、苦しい生活をします。

ウィーンでの大学デビューと青春時代そして音楽

音楽の都 ウィーンでは演奏や歌を聴き、友達と遊びまさに青春生活。
嫌な人はいないし、好きなものや友達と一緒に過ごすなんて本当に最高ですね!

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1924年 19歳 マリア・フォン・トラップはハイキング中に
ザルツブルクの景色に感動。
そのままダッシュで下山し、汽車に乗り、ザルツブルクへ
修道院をたずねシスターになることに決めます。

行動力ありすぎですw

シスターとトラップ家

でもマリア・フォン・トラップは修道女になっても
おてんばでヤンチャなので、修道院も手に負えません。
院長から「10ヶ月くらい外で家庭教師してみたらー?」という提案されます。

これがマリアの人生を大きく変えるのです。

1926年 21歳 フォン トラップ家に到着
主人のゲオルクは貴族で元艦長
映画では無慈悲な感じですが
実際はは優しくて紳士だったとのことです。

子供7人を持つ、ゲオルクは

    • かなり行儀や作法もキチキチしていた
    • ゲオルクの妻はすでに死去

子供を見ると、音楽を演奏すると妻を思い出すので、ゲオルクはどちらもあまり接しません。
裕福だけど愛情を与えてもらえない子どもたちを見て、マリアは自分の幼少期を思い出したのでしょうか?

その日から子供と木登り、ボール遊び、
一緒に演奏して過ごすことに、悲しい時に音楽に時間を当てました。

そしてゲオルクも参加し、
家族がまた明るくなってきました。

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ゲオルクは他の人と再婚を考えていました。
けどマリアにだんだん惹かれていき、

1927年 22歳 ゲオルクと結婚。

迫りくる戦争とナチス

そのころはどんな時代だったのでしょうか?

オーストリアの隣国・ドイツではヒトラーのいるナチスが台頭

おまけにトラップ家は全財産消滅。
節約生活スタート

屋敷を一部 宿として貸し出し
若いから人がたくさん集まります

1935年 30歳 音楽の才能溢れる
ブァスナー神父と出会い
毎日楽しくみんなで歌の練習。

音楽祭にトラップ一家で参加したところ優勝
ラジオ出演、国主催のイベントで合唱演奏
これを機にヨーロッパの演奏旅行スタート。

でも世の中はヒトラーや戦争一色

オーストリアで裕福な暮らしをするか
国を捨てて音楽に生きるか

一家で決断を迫られます。

1938年 33歳
家も職もないまま全てを捨て
家族と夢と音楽に生きるためニューヨークへ

ちなみにこの時 マリアは妊娠中

アメリカ ニューヨークでの成功と挫折

そしてアメリカの初舞台も成功、コンサートも成功します。

ビザの延長が認められず、一度ヨーロッパに戻ることに。
この時 色んな人から裏切り者扱いされます。
もう故郷は故郷じゃなくなってたんですね。

1939年 再度アメリカに戻る。

演奏を続けるも、契約を打ち切りになります。
スタイルが重すぎて古すぎて、今のアメリカのスタイルに合わないとのこと。

内容やプログラムを変え
聖歌隊から「トラップファミリー合唱団」に。
衣装も変え、民謡もいれ、皆が楽しめるものに。

1940年 35歳 合唱団再スタート
演奏旅行が大成功で借金全てチャラ!

そのころヴァーモント州 ストウで別荘を借り受けます。この風景が故郷によく似てて…つい…!

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1944年 39歳 そこをミュージックキャンプに!大盛況します

1947年 42歳  夫のゲオルクが死去
悲しみに暮れますが、その後も世界各国を演奏旅行

けど家族は皆成長し、新しい家族をもち、個性を生かすため

1956年 51歳 合唱団の解散
彼らの人生自体が作品になり、ミュージカルになります。

1965年 60歳

映画 『サウンド オブ ミュージック』
公開 世界で大人気に

その後はゆっくりと余生を過ごし
1987年 82歳 死去

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マリア・フォン・トラップの生き方から学ぶ

マリア・フォン・トラップが生きた時代はまさに日露戦争に始まりベトナム戦争で終わり、戦争とともに生きました。
マリア・フォン・トラップも小さい時に両親を亡くし、嫌な思いやつらい思いをずっとしてきて、その思いをいつも音楽にぶつけて生きた女性です。
けど天真爛漫な性格はやはり大きくなっても変わらず、それが今度はトラップ家という新しい人生のドアをたたくことになるのです。
私はつらいやっぱり環境や状況のせいにして、何もできなかったりやる気もおきなかったりします。
夢を追いたいけど、人生辛いこと多いし、それにお金もないし。
マリア・フォン・トラップの場合、全てそれがのしかかりました。
それ以上に辛いことが人生で実際に起こりました。自身も全財産がきえ、借金、キャンプロッジが火災など幾多の困難があり
マリア・フォン・トラップの人生と時代が不協和音を奏でてますが、家族とともに音楽に全てをかけたappassionato(情熱的な)な生き方だなと思います。
この考え、不満を情熱に変える力はこれからの私たちに必要な力ですよね。
みなさんならどんな不満をどんなふうに情熱に変えますか?

ではでは
ちゃおちゃお

参考文献:マリア・フォン・トラップ/集英社/ 谷口由美子著