こんにちは!
そんべんです^o^⭐︎
本日もさくっと紹介
かなりの有名人、だけど詳しくは何をした人なのか??
第33人目 ナイチンゲール
クリミアの天使 ナイチンゲールとは?
1820年 5月12日 両親が新婚旅行中の旅先
フィレンツェで生まれる
フィレンツェの英語名 フローレンスと名付けられる
ちなみにこの新婚旅行は2〜3年くらいでした!羨ましい(^ω^)
当時のイギリス上流社会では女性は学問不要でした
しかしナイチンゲールの父は
ナイチンゲールと姉に高度な教育を受けさせます。
- 外国語
- 古典
- 数学
- 経済学
- 哲学
勉学ではなく女性としての嗜み程度に教えたい。母としては女の子らしくないとして心配。家事とかやってほしいんだけどなぁぁ(@ ̄ρ ̄@)
どれくらいナイチンゲールが恵まれてたか
- 家族で一年以上旅行
- 社交界デビュー
- 女王に謁見
お、お嬢様や…(((o(゚▽゚)o)))♡
その頃イギリスは深刻な飢饉と不況
ナイチンゲールは慈善活動を体験します。
母や姉の考えはやっぱり当時の当たり前が大切
上流階級では
- ダンスにドレス
- 結婚に家庭
- ナイチンゲールは美しく社交界の花になるほどの人気っぷり
- たくさんの人と進歩的な会話
そんな中で誰かを助ける気持ちで迷いが生まれます。
また一説にはナイチンゲールは10代の頃4度神の声を聞いたとのこと。
救い手となれ
これが行動に大きく影響します。
看護師のイメージ改革
1844年24歳の時
看護師になりたい!
母から大反対
従兄のヘンリーリコルソンから求婚されるも拒否
当時の看護師というと
- 知識必要なし
- 未亡人や貧しい女性が安い給料のためだけに働く
なりたくてなる職ではなかった
上流階級は家で病を治しますが、病院とは貧しい人のもの。
何人もの病人が同じベットで
そしてシーツや枕カバーが汚れても同じまま
ナイチンゲールの気持ちもわかるけど、母の気持ちもよく分かります
(;ω;)
なぜ辛い方に行っちゃうんだ!
母の言いつけを守りつつ、夜は看護の勉強する日々がずっと続きます。
そして倒れる((((;゚Д゚)))))))
1847年 27歳で旅行先でローマの保養所の所長
政治家シドニーハーバートに出会います。
このシドニーはナイチンゲールに看護に詳しい人を紹介してくれます。
看護学を学ぶ、そして看護師になる。
ナイチンゲールはひたむき。
そんなナイチンゲールに熱心に求婚する
リチャード・モンクトン・ミルズ卿
さあ、どうする?( ̄^ ̄)
女としての一生と別れる決意をし
彼の求婚でさえ断ります。
11851年31歳ドイツ留学
ドイツのカイゼルスベルト施設で実際に 働きます。
そこでの経験や出来事を書きまとめ
- ベットから何回も患者さんが呼ぶけどナースが来ない
- 食事を上まで運ぶしんどさ
その後、ロンドンにある病院の看護監督を無給で務めます
ドイツの経験を生かして
- ナースコール
- 食事のリフト導入
- 清潔なシーツ
- カーテンも綺麗でよい空気
ロンドンの病院を大きく変えてナイチンゲールの名がイギリスに広まるキッカケに。
ちなみにナイチンゲールの情熱を理解した父は生活費をこっそり送ります。
優しいパパ👨🧡
イギリス軍の病人と男性医師からの反発
南下したいロシアとトルコが争いに。
フランス/イギリスがトルコを助ける形で戦争に。
1854年 34歳クリミア戦争参戦
ナイチンゲールはイギリス陸軍病院の看護師総監督に
38名の従軍看護師部隊を率いて戦地入り。
この時もシドニーが助けてくれました( ´ ▽ ` )
ナイチンゲールが着いた戦場には物資も不足、不衛生。ひどく汚いとこ。
そして患者の状態が悪くなると判断して、病院内外の清掃やリネン類の消毒や換気、質の良い食事を提案します。
ここでも男性医師からの圧迫され文句や不満、不協力を強いられます。妨害もありました。
ナイチンゲールは改革をすすめ
個人の財産をつぎ込んで物資の不足を
万全の準備を
女の手を借りる瞬間を待っていました。
これが成功(//∇//)
着実に軍医の信頼を得て
それにタイムズ基金で物資の呼びかけ
ナイチンゲールの実績は着任当初
兵士の致死率42%→就任後数ヶ月2%
- 酒浸りな患者に読書に手紙をすすめ心のケア
- 毎晩夜中もナイチンゲールは患者を見回り
- 患者第一
頑張りすぎたのかナイチンゲールは病に12日間ほど死ぬかもしれない状態
そこから奇跡の回復(‘▽’)
患者の兵士はナイチンゲールに大感謝
ナイチンゲールは国民的なヒロインに
戦場での経験で病院と世界を変える
戦場での経験は
- 公衆衛生学に応用
- 政治家に交渉
- 看護事業の顧問になる
女性衛生委員の任務を統括するように。
着実に経験を生かそうとしてますね(#^.^#)
1855年 35歳 ナイチンゲール基金の募集開始
ビクトリア女王に軍隊衛生の改善を説きます。
得意な数学でデータグラフをつくって説明
見える化ですね( ´ ▽ ` )
1859年39歳
ナイチンゲールは病気療養しつつ
ナイチンゲールの経験を基にまとめた本
ベストセラーに
『病院覚え書』これは100年もの病院作りのベースに
家庭向けの看護本
これが私たちの看護の当たり前に
1860年 40歳
集まった寄付金で
聖トマス病院ナイチンゲール看護学校を設立
ナイチンゲール自身教壇には立ちませんでした。
運営や教育方針などまとめてます
だんだん視力を失い盲目に…
後生は病院のあり方や看護士という職に対する考え方を変えるために尽力。
世界にもそれが広がっていきます。
1910年8月 90歳死去
http://historytherapist.com/oginoginko-doctor-japanese
ナイチンゲールの生き方から学ぶ
ナイチンゲールといえば夜、ランプを持って兵士の様子を見ていた看護師のイメージが非常に強いと思います。
ナイチンゲールはもちろん優秀すぎる看護師でした。
しかしナイチンゲールがすごいのは得意な数学でデータにして、数字の力で誰でも分かるように統計をとって看護を広めたところです。
なのでナイチンゲールは統計学者、教育者、政治的な面での活躍があります。
ナイチンゲールは裕福な家庭で生まれたのに、なぜこんなにも献身的でいて、一般的な家庭を選ばなかったのか。何がナイチンゲールをそうさせたのか、看護や人を助けたい情熱に人脈や知能を使って多くの人そして病院のあり方を変えた勇敢なパイオニアです。
死にかける思いまでして、異性から協力を得られなくて、個人財産まで出したナイチンゲールに情熱のスケールをまざまざと感じてしまいます。
ではでは
ちゃおちゃお🐾
参考文献:ナイチンゲール/集英社/高田早苗監修
「美女」と「悪女」大全/榎本秋/新人物往来社