テンプルグランディン自閉症を武器に家畜を救う発明家

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皆さんお久しぶりです~!
数か月お休みしてましたがまた歴史を変えた女性をご紹介!

読んでほしい人
▷動物が好きな人
▷人と違う感覚があると感じる人
▷周りの声に負けたくない人

テンプル グランディン

さてどんな方なんでしょうか?

1947年 アメリカボストン生まれ

テンプル生まれた時から少し違った赤ちゃんでした。

・目を合わせようとしない
・一言も話そうとしない

普通の赤ちゃんなら抱っこされることに喜んだり、感情を
思いっきり出すんですけども
テンプルは5歳まで話せず、言葉も文の形になっていない状態でした。
しかも腹を立てた時にだけ話していた。

1950年 3歳

この状態を心配した両親がテンプルと病院に行き診察してもらうことに。
そこで自閉症と診断されます。

この時代には新しい症状。
当時は自閉症は幻覚を引き起こす思い精神病の一種だと考えられてました。

自閉症は障害の一つだが、まだよくわかっていない。

テンプルは敏感すぎる感覚に苦しめられる。

目や耳、鼻の機能は普通だが脳に情報が歪んで伝えられる。

どんなふうに伝わるかというと自閉症は音は大きくやかましく、肌の感覚が敏感、においは非常にきついと感じるものの、
でも言葉はぼやけて感じます。

例えば髪の毛を洗うのも苦痛
だきしめられるのも苦痛

うるさい音や意味不明な言葉、全身の感覚を襲う刺激から逃れようとします。そしてくるくると身体を回していました。

感覚が鋭いテンプルは細部まで驚くほど正確に見ていたんですよね。
なのでよく詳細に景色を捉えています。

テンプルの父は診断を聞きテンプルを施設に入れたがりますが、テンプルの母はそれを拒否。

その代わり言葉の訓練をしてくれる先生を見つけてきます。
施設に入れるなんて…。

テンプルは初めて幼稚園に登園する日に先生は前もってクラスのみんなにテンプルのことを話しました。

テンプルの障害をポリオ(小児マヒ)のようなものだと説明。

当時ポリオウイルスをアメリカ人は恐れてたんですよね。
ワクチンが開発されるまで毎年何万人もの方がポリオにかかっていました。

テンプルは幼稚園にいっても変わってました。

・まずフルネームでほかの子供たちを呼ぶ
・かんしゃくを起こす

しかもこのかんしゃくはなかなかの暴れっぷり。
床で暴れてるうちに、先生の足にかみつく…。
テンプルは自分の考えていることをだれにも伝えられないことが原因でイライラがたまっていく…。

テンプルはものを考えるときは頭に絵を思い浮かべていました。
たとえば平和なら白い鳩など。

テンプルは40代までみんな同じように考えていると思っていました。

人と感覚がとにかく違うテンプル

・服が肌にこすれるのはものすごい痛い
・学校の鐘の音でみんな痛い
・病院で塗った方がいいレベルのケガには平気

というなかなかムラのある感覚です…。

テンプルは小学校生活を楽しく過ごしました。
少人数クラスに、6年間ほぼいっしょのメンバー、スクールバスもないので送り迎えはお母さんたちの交替。
なので家族ぐるみというか、地域ぐるみで関わり合うことに。

ちなみにテンプルは手先が器用なんです!
絵もとても上手、婦人服の下手をやって地元の店から
裾の始末をうけおいお小遣いを稼ぐ。

当時は女子には珍しく木工の授業も得意でした。
ハンマーにのこぎり。

小学校卒業ごろになるとみんな将来のことを意識し始める。
女の子って小学校高学年からすごく大人び始めるし…!

周りの女の子は看護師さん
学校の先生、
でもだいたいはみんな結婚してお母さん。

この結果は今も支持されそうな結果ですな!

でもテンプルは発明家になりたかったとか。

中学校時代になると今までの小規模のクラスから
同級生が60人もいてほかの学年と合わせると数百人を超える学校です。

この状況、テンプルにはつらい…。

中学では科目ごとに先生が変わるし、生徒は移動しなきゃいけない
物音が良く響く廊下、押し合いする生徒に辟易。
廊下からテンプルの悪口が聞こえる。
カフェテリアからも悪口が…。

テンプルがなぜ他の人と違うかは中学では知られていませんでした。

・同じ言葉を何度も繰り返して言うのが好き
・言葉の羅列が文にならない
・人の気持ちを考えずに真正直に答える

テンプルの行動を周りの人が理解できないんですよね。
耐えがたい学校生活にとうとう怒りも頂点に…。

1962年 15歳
「知恵遅れ」とテンプルはいわれて教科書を相手に投げつけます。
幸いにもケガはありませんでしたが、これがきっかけで

退学処分に

そこでテンプルは「ハンプシャーカントリースクール」
に通学することに。

学校には700ヘクタールの大きな森の中、そして小川、酪農施設、羊小屋、厩舎など自然が溢れてる!

そこでもテンプルのお転婆ぶりは止まりません。
女の子たちはダンスにおしゃれに夢中でしたが
グラディンと友達のジャッキーは動物と一緒にいました。
特に馬が大好きで上手に乗りこなしました。

テンプルにとって授業はどれも
退屈退屈で仕方ありませんでした。

高校1年生のころテンプルの両親は離婚死は母再婚しています。

高校2年生のころに
自分ではどうにもできないパニック発作悩まされてました。
そしてテンプルの場合はその悩みの糸口は動物でした。
動物がテンプルを救ってくれたのです。

テンプルは新しい父の姉が牧場にお訪れます。
テンプルは発作が一時的に治ったように感じます。
そして牧場の仕事にも興味を持つ…!

時に両親の離婚は子どもにチャンスを与えます…!

牧場の装置の一つに牛が動かないように
体を押さえておく金属製の枠があります。

牛たちには窮屈でイライラしているように見えました。
テンプルはそこで締め付け機を作ります。牛たちがその装置に入るとリラックスするような装置です。

しかし周りの大人たちこの締め付け機を病んだ心の産物とみなし止めます。

この締め付け機がリラックスしているかどうか検証するため、実験でその価値を証明しなくてはなりません。

そして実験を行ううちに科学者になりたいと思うように。

夢をかなえるためにもっと成績をあげて大学に進学して学位を取る必要があります。

そしてテンプルはフランクリン・ピアース大学に入学。

温かい雰囲気の小さな大学で
美しい自然もたくさんあり。

そしてテンプルの卒業論文のテーマですが
家畜の行動でした。
その時のみんなといえば、獣医学や家畜栄養学がメイン。

教授にばかにされ反対されながらも、テンプルは家畜の行動を調査。

でもこの行動により設計、建築、工学、心理学を結び、動物を苦しみから救う学問へととつながっていきます。
新しい学問を創るきっかけになっていく。

テンプルは工場音作業員が(畜牛の健康管理のため、牛の身体を抑える)スクイーズシュート装置に入れる時にどんな風に牛を扱っているかの研究を記録。

肥育場の経営者から現地に行く許可をもらうものの
テンプルは女であるというという理由で拒否される

ここで負けられるか…!!!

そこでテンプルはある雑誌の事務所に車を走らせ編集長のデスクに直行。そして毎月連載のコラムを書かせてほしいと頼むのです。

編集長はテンプルの記事を高く評価していたのでOK!
その記事のために許可証を与えるのです。
どんな肥育場でも関係なくこれで入ることがでいる…。

牧場や施設は男性ばかり。
男性たちは女のテンプルに指図されたくないんですよね。

テンプルはいやがらせもたくさん受けます。

テンプルは動物が確実に早く安らかな死を迎えられるようにするために
設計を工夫したかったんですよね。

嫌がらせを受けながらも自分の信じる道に着々と行動するテンプルです。

1980年代に
本格的に設計とコンサルティングの仕事をします。
そして妨害されながら根気強く牛の目をもってデータを集めていくのです。

そうです!牛の感覚がテンプルにはよくわかるんです。

テンプルは施設の牛にけがをさせずに済むように
牧場の牛たちに良い暮らしを提供しようとします。

牧場で牛の扱いは酷いものです。もちろん全部ではないですが。
しかしテンプルの自閉症の感覚で少し変えるだけ多くの問題を解決しました。

通常の人には分からない痛感できない感覚で、自閉症だからできる感覚で。

テンプルは「アリゾナ・ファーマー・ランチマン」誌に書いた記事は多くの人に読まれて、また違う設計に関する本の一章を書いてほしいと頼まれるのです。

ちなみに
これまでテンプルは今まで
車をめちゃくちゃに汚される
血だまりを見せられるようなツアー
技術の設計の邪魔などいろいろありました。

アイオワ州スペンサー市にある会社の食肉処理場を目にし
そこは牛がおびえ切った状態で電機棒で牛をつつく、わざとすべりやすくして点灯させる、惨い仕打ちを受けてつるされて殺されます。

それでもテンプルは直視して受け止めています。
一時は残酷な場面を目にしすぎて肉を食べるのをやめましたが
ふらつきやめまいを感じて倒れちゃったんですよね。

テンプルはその生活をやめます。そしてこんな風に感じたんですね。

人間がハンバーガーをやめ、肉食をやめても
動物を使った製品はたくさんある。

・増粘剤は牛や豚の骨を使う
・石鹸も動物の脂肪を使う
・薬ヘパリン(血液が固まらないようにして血栓を防ぐ)は豚の腸を使う
・飛行機やパソコンの部品で潤滑油

どれにに代わるみんなが納得できるものが見つからない限り、食肉処理場は消えることはない。

だからこそ人道的な温かい食肉処理場が必要。家畜動物にも最期を迎える際には出来るだけ良い形で死を迎えられるようにすべき。

テンプルは牛たちを鎖で逆さ釣りにしないデザインを考えるんですね。
世界中で食肉処理場や牧場で虐待をうけている。とくに卵を産むメンドリは環境が最悪。家畜の福祉の面から見ても最悪。

1990年代の終わりには動物愛護団体に促されつつ、
マクドナルドは動物を虐待している工場からは肉を買わないと決めます。

どんな基準で牧場を審査するかマクドナルドはテンプルに答えを求めました。

テンプルの答えは「動物をよく観察すること。例えば鳴き声を数える。」

テンプルの審査基準は

・どれくらいの牛が走ったか
・全体的な牛の鳴き声は何割程度あげているか
などなど。

これらをベースに誰でも正確にはかるための評価をつくります。

もちろん経営してる工場には悪質すぎて言葉にならないものもたくさんありました。
ビデオカメラも取り付け
そこで誰が見ても正しく判断できるようになったんですね。

現在のテンプルグラディンは?
まだまだご活躍中。そしてこのテンプルグラディンの生き方は映画化されてます!

関連書籍☆彡

テンプルグラディンの生き方から学ぶ

自閉症と闘いながら生きているテンプルグラディン。自閉症という感覚がほかの人よりも繊細だったから、ほかの人が気づかない所まで独自の目線で気が付くことが出来たんだと思います。
病気だから、障害があるから、むしろそれを逆手にとって自分にしか

あとちなみにTwitterやってます!
ちょいちょいつぶやいてるので笑!
歴史セラピスト(@Histothera1212)

ではでは
ちゃおちゃお🐾

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