不幸な人は今すぐ読め!3分で学ぶシモーヌ・ヴェイユ

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どうもそんべんです!

なんで私の仕事ってきついの?
なんでこんなに休みがないの?
なんでこんなに残業ばっかなの?
プライベートなんかほぼないし。
疲れて他になにかやる気力さえないよ…
全部が嫌。全部無理。
やっぱり自分は不幸な人生送るしかない。

自分の今置かれている境遇に不幸を感じている人はいませんか?
同じく自分の体験を通し、不幸であることを徹底的に考えた人がいます。

シモーヌ・ヴェイユ

どんな女性なんでしょうか?

工場経験から思想と倫理を得たシモーヌ・ヴェイユの生涯

1909年2月3日 シモーヌ・ヴェイユ誕生
フランスのパリにて誕生
父ベルナールは医者、両親はともにユダヤ系で教育に熱心でした。

そして兄のアンドレは天才肌。
4歳 文字
9歳 方程式
11歳 ギリシャ語
を始めるほど

ちなみに兄アンドレはのちに20世紀を代表する優秀な数学者に。

そんな超賢い兄を見ていると、比較してしまいます。
「私は兄よりできない…」

いやいや!お兄ちゃんが超人なだけでそんなことないって大丈夫だよ!
と声をかけたくなるんですが、

劣等感をこえても自殺まで考えてしまうんです。
やめて!それはダメ!

1925年 16歳
兄も通うパリの師範大学の受験勉強のため
アンリ四世校で哲学者 レイモン・アランから教示。
レイモン・アランの授業では「よく書くことはよく考えること」
という考えの元で哲学や文学をたくさん学ぶ。

プラトン
バルザック
カント
デカルト
マルクス

でも受験は不合格
浪人してさらに猛勉強。
そのころソルボンヌ大学で講義も受け、学生だったボーブォワールとも出会います。

1928年 19歳パリの高等師範学校に入学
1931年 22歳 大学教授試験に合格
ルービュイの国立女子高等学校の教授に任命

えー!すごいよかったじゃん!努力はやっぱり最後は勝つんだね!

とホメたくなるじゃないですか

なのに失業者デモに参加。
これを地元新聞がスキャンダルとして報道。
まさかの1年目で転勤が決まる…!

マスコミ恐るべし!!!!!

1933年 24歳
ロアンヌの国立女子高等学校教授に。
そして炭鉱労働者の更新に参加。
デモにより転勤になった過去があっても、そんなことは関係ない!

そしてシモーヌ・ヴェイユは運動に参加することでこう考えます。

思想が行動をはっきりと決め、
実践した行動がさらに思想を修正して、更に深まっていく

1934年 25歳 休職
シモーヌ・ヴェイユはパリの電気機器会社でプレス工員
翌年には鉄工所で圧搾機のオペレート
ほかにも未熟練工として24時間ずっと監視されて働く生活を体験。

怒鳴られるし、出来高払いだともうもう精神的におかしくなってきて

自分で自分に奴隷だとみなすことで、バス乗車にさえ喜びを感じるようになるんですね。

喜び方が社畜を超える勢いです…!!!!

シモーヌ・ヴェイユの著書『工場日記』にが描かれています。
不幸はむしろ過去も未来への希望も忘れて無くしてしまうと考えるようになっていきます。

【そんべんからのお願い】
ふらふらのシモーヌ・ヴェイユを街で見かけたら、
誰か新しくできたカフェでも誘ってあげてください!

デモ行進に、レポート潜入、戦争参加へ
『重力と恩寵』『根をもつこと』シモーヌ・ヴェイユ入門を次々に。

壮絶な経験を終えて復職。

1936年 27歳スペイン内戦共和舞台に参加
この戦争参加により、思考をマヒさせるメカニズムを体験

あれ?壮絶な労働経験では足りなかったのか…。
戦争まで行かなくていいんじゃないのか…。

シモーヌ・ヴェイユは
根拠地を出て野外に宿泊している際に、大やけどを喰らいます。

シモーヌ・ヴェイユ、身体張りすぎです…!

1939年 30歳
九月戦争を勃発。家族とパリに戻る

1940年 31歳
シモーヌ・ヴェイユは再び教鞭を握ることを望む。
当時 ヴィシー政権の下、ユダヤ人の法令で却下…。

1941年 32歳
ペラン神父と出会う。
そこでカトリック作家 ティポンの農場で農作業をし始めます

1942年 33歳
カサブランカの難民キャンプで2週間を過ごす。
そして両親とアメリカへ亡命。
その後は両親とも離れてロンドンのド・ゴール将軍率いる自由フランス政府の文案起草者に。

シモーヌ・ヴェイユは小さなときから偏頭痛持ち
そして栄養失調により不健康になる意識不明

懸命の治療により回復ももう少し…もうちょっとで治りそう…
というところで

フランスにいる人が常に食事の危機にさらされているのに自分が食べるなんて…

食事を拒否。

気持ちはさ、そりゃ素晴らしいよ!うん、ほんとに!
でも栄養はつけた方いいと思うんだよね!!!!マジで!

という言葉は全く届かなかったのか、
アシュフォードのサナトリウム(主に結核などを長期で療養する場所)へ移動。

更に食事を拒否。
更に更に食事を拒否。

いいかげん、食べなはれ~!!!!!!!!!!

と突っ込みたくなりますが、なんなら私がそのご飯食べたいよって感じですが

収容されて1週間後に死去。

関連書籍☆彡

シモーヌ・ヴェイユの生き方から学ぶ

なんでそんな辛い方にいっちゃうの?シモーヌ・ヴェイユの人生にツッコミをいれたくなちゃいます。
両親は医者、お嬢様、頭もよくて教授の資格だってもってるじゃない。
なにが嫌なんだろう?なにがそんなに足りないの?
それでもシモーヌ・ヴェイユには何かが不足してたんですよね。

シモーヌ・ヴェイユはどんどん自分を否定していき「私なんて、私なんて、私なんて、」と自分の価値を自分で
下げていくんですね。

そして不幸の行きつく先っていうのは不幸を否定するんじゃなくて受け入れてしまうんです。
「だから私、不幸なんだ」って。

そして不幸をどんどん寄せ付けて、人も周りもどんどん不幸にしていく。
自分の人生をさらに自虐に拍車をかけていくんですね。

けどこれってシモーヌ・ヴェイユだけじゃないんです。
あなたの心の中にもないですか?
明らかに不幸。どんどん原因を自分のせいにして、どんどん不幸にしてる。
不幸な状況になってもだんだんそれがマヒしてくる。

仕事がこんなに忙しいのも、自分のせい。
プライベートが取れないのも、自分のせい。
こんなに不幸なのも、自分のせい。

一度はいると抜けれない。

今、自分が不幸でしんどくなってたら、自分を責めるのをやめてみよう。

責めて責めてまた責めて。
自分のことをいつまで責め続けるつもり?

自分の責めすぎが不幸の始まりなのかも。
シモーヌ・ヴェイユからの大きな学びです。

そんなシモーヌ・ヴェイユの一言。(出典:『蘇るヴェィユ』)

さいごに、自分というものが
どんなに大切であるかを
さとるのである

ではでは
ちゃおちゃお🐾

参考文献引用:女の哲学/宇波彰著/PHP