どうも!そんべんです(^o^)
ゴールデンウィークは晴天に恵まれて、旅行日和ですね✈
私はインドアでゆったりと過ごしてます!
本日は歴史人物編を置いといて、
カワイイに関して掘り下げていきたいと思いますカワ(・∀・)イイ!!
カワイイという言葉の頻度の高さ
カワイイこの言葉めちゃくちゃ便利で、褒め言葉としても頻度はとても高いですよね!
「このスカート カワイイ💕」
「このカフェ超カワイイ☕」
褒めることは良いとは思うんですが
カワイイって言っておけば、なんとなくその場がまとまる感がします。
勿論全員が言ってるわけでもなく、勿論カワイイ以外の言葉を使っている人もたくさんいますが。
全てをこの一言ででまとめていいのか…?
カワイイというフレキシブルでユーズフルな性質に頼りすぎて、言葉自体が疲労困憊な形容詞になりつつないか?
と勝手に思ってます。他の形容詞が絶滅したわけではなく、存在してます。
それではなぜカワイイがそんなにも使用されるのか掘ってみたいと思います。
かわいい歴史を振り返る
実際にカワイイに関して著述した可愛らしい本があります。
『かわいい論』:著 四方田犬彦という本を参考に掘ります!
どんな内容なのでしょうか( ˙³˙)( ˙³˙)( ˙³˙)( ˙³˙)
まず『枕草子』まで遡り、江戸の歌舞伎・大衆小説・太宰などの作家まで
カワイイを軸に日本文学を振り返ります。
カワイイとは
幸福な自己肯定に到達できる「魔術的な牽引力」
どこか幼く見られてる相手が自分わ支配しようとしている
そこから派生して
心の躍動や親しげで、好奇心をそそる、どこか未完成なものです。
例えば西洋を見ると可愛らしさというよりキレイというより、美しいという印象がありたす。
美しさはよく禁忌に触れタブーと結びつく危険な香りさえ漂う感じです。大人で完成しきったような雰囲気です。
カワイイはあくまで守ってあげたい
という完成した大人ではなく、子供のような印象を与えがちな言葉かと思います。
アニメやマンガがすきで私もよく見ますが
カワイイという概念を捨ててキャラクターをよく見ると
-
- 不自然に大きな眼
- 極端に短い脚もしくは長い脚
- 異常に丸みのあるフォルムなど
身体的に欠落された部分しか残らない生物と化かします。
グロテスクな畸形とも言えます。
カワイイとなるためにはそのものを人間側から保護をされる必要にならねば、迫害を受けたり攻撃されかねません。
なのでグロテスクとカワイイは隣同士で紙一重。
つまり小さくて守らないとダメな存在でないと生き残れません。
大人女子と現代社会
雑誌でよく見る大人女子
女子の定義が分からないですが、私は基本的には学生や10代〜20代前半くらいの子に使ってるイメージがあります。
ひとりの大人になり、女子から派生して女性と呼ばれてもおかしくない。
しかし出てきた大人女子という存在。
女性だと大人になりすぎて、責任感も出てくる言葉だからで避けようとしてるのかもしれません。
女子だけど、少し年齢を重ねて、そんなに重々しくないし、若くいたいなという思いか大人女子という言葉に含んでる気がします。大人女子と呼ばれてもおかしくない私が言うから、悪口でも批判でもないと思います笑(‘ω’)
その言葉を作り、受容してるカワイイ日本社会。
大人女子がいいのか悪いのか何がいいかは分かりませんが、根本的に日本って可愛らしさベースで出来て判断がする基準がカワイイなのかも。
しかしいくら可愛らしいと思っても
カワイイという言葉に頼らずもっと色んな褒め言葉を使って、日本人だけど日本語のボキャブラリーを増やした方がいいのかなと思います。
最後に提案ですが、もしカワイイを使うなら清少納言のように古語でいったらいいのかな?
『枕草子』でも現代人と似たような感覚持ってるし!きっと応用ができるはず(^^♪
「このスカート カワイイ💕」→「このスカート うつくし💕」
「このカフェ超カワイイ☕」→「このカフェ あなかはゆし☕」
ではでは
ちゃおちゃお🐾
参考文献:ナナメ読み日本文化論/中野明/大久保喬樹