貨幣からSNSのいいねが価値になる信用経済が未来の常識に

スポンサーリンク
Pocket
LINEで送る
このエントリーをはてなブックマークに追加

どうもそんべんです(*’ω’*)
暑すぎて外出たくなるのが本当に億劫になってしまいます。
暑さについて考えるのをほどほどにしつつ、最近よく聞く評価経済について考えてみたい。
Facebook、Twitter、Instgramなどスマホを持つようになりSNSを使う人であふれてる。
日本だけじゃなくて世界で多くの人が使ってるし…
私もその一人!
SNSで「いいね」ボタンをつけてその人の投稿に共感出来たり、良いものなら「いいね」ボタンを押して評価する。

そう評価しあう時代が来て、ちょうどその時代の成長期に私たちは生きている!
では評価経済をもう少し掘って考えてみよー!

【目次】
1.評価経済と貨幣経済
2.信用経済と資本主義
3.信者と儲け
4.発信力弱者とフォロワーがたくさんいる競争

評価経済と貨幣経済

最近よく聞く評価経済という言葉。
評価も経済も分かるけど、評価経済という言葉になるとなんのこっちゃって感じですよね。

自分が載せた投稿やコメントが他の人の心を動かしたり、共感を呼ぶものではあれば「いいね」ボタンで評価される。
なので他の人から評価されることが大きな意味を持つ時代の中に私たちで生きているところです。
評価経済が出てきてる一方で、通貨を使って私たちは生活し経済が成り立っているのも事実です。

お腹が空いてコンビニに行けば、電子マネーやクレジットカード、現金を払って、そしてオニギリやらサンドイッチなど買える貨幣経済で世界は動いています。
このペラペラの紙に1000円という価値があるとみんな信じてこの通貨を使っています。
買う側も売る側も信じているから1000円を払ってオニギリやらサンドイッチやら得ることが出来るんですよね!

お腹が空いてコンビニに行っても、仮に私が「いいね」が誰よりも多くついている人だから信用してほしい、オニギリやらサンドイッチを下さいっていっても、コンビニ側はオニギリやらサンドイッチを提供してくれないでしょう。
コンビニは1000円やっぱり現金や電子マネーで支払って欲しいと思うはずです。

お金ではなくてその人自身が個人レベルで信用されてるから、オニギリやらサンドイッチを渡すというのはまだまだ現実的に全国的には遠い状況です。
まあツケという制度はありますが、
いきなり知らない店へ行き出来るかと言われると難しいのではないでしょうか。
なのでみんなお金の価値主に信じつつ、評価が高い低いで決める価値観の両方が顕在した中で私たちは混沌と生きてるようです。

信用経済と資本主義

資本主義はどんなに悪い人でもお金を多く持ってる人が優位な立場、そうでなければ劣位な立場になります。
記事の特集でも収入の番付などありますよね。
また転職サイトを見てても
「年収1000万越えの職」が大きく書いてある。
また結婚相手にも年収が気になる女性が多いですよね。
年収は600万以上とか。

年収よりTwitterのフォロワーの数を気にして婚活してる女性は現在少ないと思います。
私の友達でもその条件で探してる人はまだ出会っておりません。

逆にどんなに信用があってフォロワーが多くても年収200万以下の人はやはり資本主義では劣位な立場に立たされてしまいます。

みんなお金に価値を見出しているから、そう定義して判断するんですよね。
なのでヒエラルキーとしては資本主義は
経営者や社長など優位な立場
労働者は劣位な立場に立たされることは少なくない。

でも信用経済がもっと浸透するとどうなるのか。
相対的にお金の価値が下がる、お金に価値を見出せなくなってくる…。

ではお金の代わりに何がお金の代わりをするのか?
それはみんなからの「いいね」というボタンで評価され、その人自身が持っている信用がその役割を果たそうとしている。
これからの世の中はそんな信用を持っている人が優位に立つ時代になりそう。
そんな信用経済について述べている本!気になって即読んじゃいましたけど(*^▽^*)

信者と儲け

たくさんのいいねを持っていることが大きな意味を持ち、それが私たちの新しい価値観になる。
最近でもブロガーやwebで有名になり人気が出て、本やテレビで取り上げ全国区になるような人が多くいる。
現代に生きる私たちは現実で時間を過ごすとともに、webに滞在して過ごす時間も多くなってる。
なので空間や時間を超えて今ネットにいる世界の人々とつながることが可能。
現実に会ったことはないけど、ネットを介して新しい人とつながるのも普通。
ネットで自分が気に入った人を見つけて「いいね」を押して評価する。
そしてだんだんその人が言っていることに賛同し、だんだんその人の言ってることが正しいと思ってしまう。大げさかもしれないけど。
フォロワーが信者化し、発信者自体が教祖化するような構造が見受けられます。
信者くっつけるとけるという漢字になる。自分のいうことに価値をつけ、信者が付くことで儲けるんだという本質を考えさせられる。

漢字ってすごいな笑!

なんだか宗教団体の構造に似たものを思い起こしてしまう。

発信力弱者とフォロワーがたくさんいる競争

これからお金よりもフォロワーの数や「いいね」だけの数を競う状況になりかねない。
フォロワーの数が絶対主義。

お金の多さよりもフォロワーの数を競うような時代も本格化する。
お金をたくさん持つ人が有利だった時代そこからフォロワーが多くいる人が有利になる時代へ。
お金を多く持っている人がいれば、持ってない人もいる。同じくフォロワーの数が多い人もいれば、少ない人もいる。
これが今後の新しい格差になりえる。
「ずっと発信しないとだめなのか?フォロワーがいないと評価してもらえないのか?」
そんな悩みを真剣に考える人も出てきそう。
SNSは特に若い世代が中心で浸透している。ならばSNSを使っていない年齢の高い世代は不利になるのか。
若い世代でもみんながみんな発信力があるわけでもない。私もそうだけど。
好きなことを発信していればストレスも何もなくて楽しいけど、いつものまにか信用を得るためだけの虚空な不毛な戦いにもなり得そうで怖い。

現在お金に価値が見出せなくて、社会はお金を持っていることにこそ価値があるのに不満がある。
信用に価値を見出して、どんどん信じてもらえるよう自分の信者をつくる。信者を創るのにこそ価値を見出す。
既存の価値観が嫌なのに、新規の価値観にもやっぱり格差が出来る。
時代と価値が変わっても差が出来るのは人間の悲しい性かもしれない。
人間が完ぺきではないからこそ、今よりマシだと思われるよりよいと思われる価値観に移り変わっていくんだと思います。

実際、貨幣経済がいいのか評価経済がいいのかというのはわからない。どっちにしろ
優位な人が居れば、劣位な人もきっと出てくると思う。
もしかしたら今の価値観の基準である貨幣経済を懐かしむ時代がくるかもしれない。そう遠くない未来に…。
ただ言えることはちょうど今は過渡期で貨幣経済から信用経済に移っているところ。
価値がお金になってもフォロワーや信用になっても、結局は人間の本質が変わらない限り、
本当に価値感が変わったと言えないと思う。

評価経済に対してネガティブに書いたけど、私自身は良いとも悪いとも判断ができない。
人間が作り出したものなので完ぺきなものや価値観は無いので良いと思うし悪いとも思う。
ただ個人レベルで自分の思いが今生きている人に届く機会に溢れた時代がもう到着していて、
自分はその中にいることだけは確か。
ならば時代の恩恵を受けて、もっと思いを発信しよう。
どこかの誰かに自分の考えがウケたり、共感したり、ちょっとでも届けばいいと思う。
Twitterでもボソボソとつぶやいてます笑

歴史セラピスト(@Histothera1212)

ではでは
ちゃおちゃお🐾

Pocket
LINEで送る
このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする