淀殿 父と兄を殺害 義父と母を自刃に追い込んだ男が旦那に

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読んでほしい人

▷幼少期にトラウマがある人
▷逆境に強くなりたい人
▷リベンジに燃える人

淀殿

では淀殿はどんな女性だったのかさっそく見ていきましょう!!

戦国時代の名門一族に生まれて 淀殿

名前:淀殿、茶々、菊子
1569年生-1615年没
出身地:近江国 小谷城(滋賀県長浜市湖北町伊部)
身長:168cm(当時平均身長149cm)
大柄な肥満体

今でも168cmは高身長な女子なのに!当時だったら平均ほぼ+20cm
ちなみにガッキーが169cm!
もうほぼガッキーってことで(身長だけね!)

持病:気分障害、鬱病
死因:自害(母子心中)
性格:頭の回転が早く、自信過剰、自尊心が強い、わがまま

幼少期の淀殿なんですが

7歳 小谷城 が落城。父 浅井長政が自刃

頼りにしてた信長おじさんは本能寺の変で自害。

母お市の方は柴田勝家と再婚

そしてわずか10年後
17歳 越前北ノ城が落城
母お市の方 義父 柴田勝家が自害

ここで二度の落城、そして両親を失い
心に傷を負い、トラウマになります。
若いのに家族の死に目にさらされ、あまりにも壮絶な事態に遭います。
このことが淀殿の人生に大きく影響…

戦国時代が終わりを迎えるころ
秀吉は一代で豊臣家を起こして、全国を制覇する覇者となります。

ちなみに言うと淀殿の母であり、超絶美人のお市の方
秀吉はお市の方が大好きでした

秀吉は家柄が良いお嬢様萌え、美少女大好きというわけではないようで…。

淀殿といえば戦国時代のサラブレッド

  • 信長が伯父さん
  • 戦国名族出身
  • 大好きな憧れてたお市の方の娘

そしていいオッサンになった秀吉は美しい淀殿を側室にするんですね。

憎き相手 豊臣秀吉との結婚

淀殿は19〜20歳で輿入れ
しかしこれは当時としては婚期を逃した、かなりの晩婚になります。
※この時代 初婚年齢かなり重要
淀殿の妹たち▽
お江→12歳で輿入れ
お初→18歳で輿入れ

しかもその時秀吉は50歳
長身マッチョでガテン系なオラオラしてる戦国武将とはまったくかけ離れてます。
当時の感覚だと、おじいちゃんに近いです…。
まあ割と優しく気前はいいオッサンでした。


女好きで有名な秀吉は正妻や側室がたくさんいました。
後継を産んだのは淀殿だけ

長男 鶴丸 (3歳になるまでに死去)
なので秀吉は 甥っ子の秀次を後継にしようとしてましたが…

ここで淀殿が出産!

1593年 次男 秀頼生まれる

ちなみにこの秀頼の本当の父親は

  • 大蔵卿の局の息子
  •  大野治長
  •  石田三成
  •  歌舞伎役者

だとか…。真相は淀殿のみぞ知る。

淀殿は権力継承欲をあおってあおって、濡れ衣を着せて秀次を処刑。

これが吉と出るのでしょうか?
秀吉の甥っ子冤罪事件が原因で臣下の間で不信感が…。

そういえば淀殿の過去を振り返ってみれば、この旦那である秀吉は
実父の浅井長政、兄の万福丸、義父の柴田勝家と母お市の方を自害に至らしめた張本人
この痛みを淀殿は忘れないというか、忘れられない。

淀殿は嫌いな相手と夜を過ごしながら、
「織田家の再興」の野心を胸に、横で寝ている秀吉を見ていたことでしょう。

そんな思いで生きてる淀殿。
天下は我が子に継がせたい!
邪魔者は潰さなくては…!

正室おねのライバル心はメラメラ
『絵本太閤記』などで女の熾烈なバトルのオンパレード炸裂

エピソード
おねが珍しい黒百合をゲットして、お披露目する茶会をしようと企画します。
淀殿はその情報を先回りでリサーチ入手。淀殿もなんとかその黒百合をゲット。

一方でおね主催の茶会では花を褒めますが、3日後は淀殿主催の会を開き、雑草とともに生けた黒百合をみせつけます。

おねはガチギレ…。
珍花としておねに献上した佐々成政を断罪。
佐々成政を切腹に…。

激しすぎる女のバトルに死人が…

佐々成政絶対こう叫んでる
俺、とばっちり受けてないかー!?


でもこれは作り話という説もあるので、実際のところはわかりません…。

朝鮮の遠征も失敗した中で秀吉が1598年 病死

33歳の淀殿を秀頼は大坂(大阪)城に入る
この城は秀吉が秀頼のために築いたもので、入城も秀吉の遺言でした。

正室のおねは落飾して京都にいく。
つまり側室 淀殿が追い出した感強めです。

このころ淀殿の体調はどうたったのでしょうか?

現代でも大きな病気になっているうつ病になります。
名医 曲真瀬玄朔(まなせげんさく)の治療を受ける

カルテ<医学天正記>に

10/2 淀殿は気分が沈んで
食欲不振とめまいを訴える
快気湯と木香を処方した

たしかに気苦労の多さは人の何倍もありそう…。

徳川家康と関ケ原

徳川家康が実力をつけ、
淀殿の側近 石田三成の間で対立が生まれ、後に関ヶ原の戦いになります。

そして家康が大きな勢力を持ちます。

しかし豊臣家は家康に「臣下の礼」という、ざっくりいうと家康にリスペクトを態度で示しませんでした。

淀殿は家康のことを「ただの家臣の一人、知識もないのに政治なんかして」と思ってたとのこと。それが豊臣家を最終的に、滅ぼすことになるんですね。

大坂夏の陣は惨敗
1615年5月8日 46歳
淀殿と秀頼は炎上する大坂上で自刃

関連書籍☆彡

天地人

功名が辻

淀殿の生き方から学ぶ

淀殿が悪女か否かは難しい判断です。淀殿の悪女っぷりは江戸時代に書かれたことが多いのでなんとも言えません。書かれた時代が徳川の世であれば、自然と淀殿のことを悪く書きがちです。
淀殿が本当に悪女だったのは評価しにくいです。数冊本を読んでも淀殿の評価は別れます。しかし私個人としては、悪女だと思いません。10代であれだけ、身の回りで恐ろしい不幸に見舞われたら、自分の身は自分で守るような強い女になるし、妹たちを守り、家を守りぬくような覚悟をするようになるのかもしれません。悪女というより、可哀そうな人だと思います。自分を陥れた男とよりにもよって結婚。別れたくても夫は天下人。淀殿のリベンジは徐々に息子にロックオン。どうしても息子に浅井家の血を残したいというのが淀殿の心情だったのかもしれません。野心に燃え、リベンジ精神は人生を支える一つの柱にもなりえます。皆さんの中でも、悔しくて辛くてこんな屈辱的な思いはもう嫌。二度とこんな思いしたくない。と不満やマイナスから来る思いでやる気になったり、奮い立たせてくれるものはないでしょうか。だからこそ生きてやるという思いが溢れてたんじゃないかと思います。サバイバー気質の強い芯のある女性ではないでしょうか。
もしかしたら、みなさんの旦那さんもしくは奥さんはどこかのタイミングでリベンジを待ってたりして…。笑
無いことを祈ります!

ではでは
ちゃおちゃお

参考文献:戦国美麗 乱世を彩った美女/PHP

乙女の日本史/堀江宏樹·滝乃みわこ/角川文庫

惨くて美しい世界の悪女·妖女事典/世界の悪女研究会/コスモ文庫

乙女でたどる日本史/山名美和子/だいわ文庫