荻野吟子 公許初の日本女医に 離婚と屈辱からスタートした23歳

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こんにちは
そんべんです!最近はイベント立てたりブログ書いたり活動してたら、すぐに時間が過ぎてしまい
時間の管理の難しさを体感しております(+_+)
そんな毎日ですが今日も紹介します!

荻野吟子




荻野吟子 日本初の女性医師になった女

名家の五女として誕生
1851年生まれ 父の自宅で開いた私塾によく通う

1863年 12歳で寺子屋に通い
儒学者で漢方医であった松本万年『両宜塾』に入塾

吟子は実力もあり、美貌もあり、才色兼備で評判でした
おおっ美人💛大好きです(^▽^)💛

1868年 17歳 親のすすめで埼玉の旧家にお嫁に
名家同士の結婚はみんなの憧れ
おめでとおめでと!!!!!!!(^^♪

しかし荻野吟子はそのあと性病に
腹痛と腰痛、そして下腹部からの白い膿…

1874年 23歳順天堂病院に入院
男性の医者と学生に自分の見られたくないところを見せなくてはいけない
という経験をします。
私もいやだな。これは辛い!病気でさえしんどいのに

そして離婚になります。なんという別れ方でしょうか。
では荻野吟子にとって結婚というステップは無駄だったのか?
いえ、むしろこれが荻野吟子の人生の始まりです。

ここで荻野吟子は先ほどの病院での恥ずかしさから女医になることを目指します。

女の普通に生きる道を捨て 医学の勉強をスタート

嫁ぎ先の離れに住んでいた女流画家 奥原清湖にこう言われます。
「結婚だけが人生ではなく、学問に生きる女がいてもいいのでは?」
また荻野吟子の父も離婚で吟子を不憫に感じてました。

吟子 23歳 母の反対を押し切り 井上塾に入門
女の入学できる医学校はないので、漢方医の井上頼圀を奥原清湖に紹介されます。
漢方医の井上頼圀は30代半ばで2年前に妻を亡くしたところ。
(・ω・)(-ω-)(・ω・)(-ω-)ウンウン♪

井上頼圀センセは美しい吟子に求婚します。
勉強の邪魔しないでほしいっつの(+_+)
と内心思ってたのでしょう。
結婚はちょっと…!理由どーしよ…。センセにプロポーズされても気まずいしなあ

って思ってた矢先に
私塾してる人から「教師やらなーい?」といわれてそっちにトライし甲府へGO☆
モテる女はつらいんだな…!

行ったはいいけど心にモヤモヤが

松本万年『両宜塾』の娘から
東京女子師範大学(今の お茶の水女子大学)出来たから、勉強しなーい?
と誘われてトライしにGO☆

フットワークは軽い方がいいですね(^_-)-☆
これくらいスピード決断していきたいな
卒業時に荻野吟子は
どうしても医者になりたいと熱い想いをぶつけて
教授に軍医艦 石黒忠悳(ただのり)を紹介してもらう

かなり苦労して、経営者も説き伏せて
女人禁制『好寿院』に通い始めます

さらに男性からかなりの暴言をいわれます。

しかし荻野吟子は

  • 清楚で小柄な容姿
  • すでに学んできた経験と実力

1882年 31歳トップ成績で卒業

女王君臨って感じです(^_-)-☆
吟子かっこよすぎて惚れそうです!
そして医術開業試験を受けることに

しかし東京府庁(現 東京都)は女であるため拒否

吟子は
私が前例になるわ!と再度出願

何度もトライ、最終的には外国の医学校に行くつもりでした。
そして受験できることに。
1885年 35歳 日本初の公許女医第一号
女医になる決意をして12年が経ち、本郷湯島で産婦人科開業

でも忙しすぎてストレスを減らすためキリスト教にはまっていき入信
人間ってやっぱり信じるものとか心の頼りがないとつらいのかも…
私は何かな、とりあえず支えはチョコレートとコーヒーかな。

キリスト教と14歳年下の旦那

そして色々活動してると
26歳の牧師 志方之善(ゆきよし)と出会い
40歳で彼と結婚

おーーーーーーーーーーーーい!急展開!隙間どこにあったんだ
ちなみに旦那さん志方は北海道 利別を開墾して神の国作りたがってます

北海道 人跡未踏の密林「エンマヌエル」と命名 開墾

作るものがレベル高すぎでしょ!

1897年 46歳でやっと吟子も北海道へGO☆
そして荻野医院開き、頼まれたら雪の中でも往診に
婦人会や日曜学校も開き、色々手広くやってます

実のところ旦那さん志方は同志社大学を中退してたので
今更ですが卒業するため京都にGO☆

あれ?すれ違い…。また別居。
卒業できたので北海道に戻ろうと思っていた矢先…

旦那さん志方死去
42歳でした

マジーーー!もうなんで北海道にいたのかわかんないよ!待ってたのにぃぃぃぃ
吟子も体力が持たず、3年後に東京へGO☆

向島で医院を開き、裕福な親類縁者が多く、その人たちの援助で落ちついた毎日を過ごします。

荻野吟子の元に、女医一号として巻頭インタビューが来ます。
そろそろ確かに彼女の人生をまとめてもおかしくないし!
『日本女医雑誌』創刊 発行日 1913.6.23

けどこれが彼女のやり残した最後のことでした。
荻野吟子は脳動脈硬化で卒倒、その日は荻野吟子の葬儀当日となったのです。

享年63歳

関連書籍☆彡

荻野吟子の人生から学ぶ

20代前半で名家同士での結婚なんてもう完全に勝ち組の人生じゃないですか。けど荻野吟子の場合本当の人生はここからスタートなんですよね。まず性病にかかって離婚する。そして女性としての屈辱からのスタートです。普通の人なら恥ずかしいとかもう病院に行きたくないというトラウマをかかえて終わってしまいます。けど荻野吟子の場合はむしろそこをなんとか変えてやろうという人生のスローガンと希望に変えてしまいます。そして本当に自分の人生と医学界に風穴を開けて変えてしまうのです。嫌なことがあると逃げてしまったり、現実を見なくなるのが人間だと思います。不満があるなら、屈辱があるからこそ、それを信念にして進んでいく。男性という同じフィールドに立てないことなんか荻野吟子にとっては壁でもなく、日本女子が一つのこじ開けるべきドアを代表して開けてくれた気がします。

ではでは
ちゃおちゃお🐾

参考文献:医者になりたい夢をかなえた四人の女性/島田和子作,北住ユキ絵

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