樋口一葉 18歳で大黒柱 文才で生活を支えた頑張り屋

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読んでほしい人
▷長女
▷お金が無くて困っている人
▷自分よりつらい人を見つけたい人

樋口一葉

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さてどんな人生だったのか?

五千円札の文学者 樋口一葉

ではさっそく見てみましょう!
1872年生-1896年没
出身地:東京府第二大区一小区内出下町一丁目一番屋敷
東京府構内官舎(東京都千代田区)

身長:144cm(1910年女性平均身長150cm)
持病:強度の近視、頭痛肩こり
死因:重度の肺結核
性格:困ってる人を見ると手助けする
我慢強い
泣き言言わない頑張り屋

父は元幕臣、下級役人として東京府庁につとめる。
14歳で高等小学校4級を首席で卒業
成績優秀の樋口一葉。
母は女性は学問などいらないという考えから進学せず

父は彼女の才能に気がつき
15歳で中島歌子の歌塾に入門
ここは上流階級が通うところで一葉の祖父の代は農民なので平民として扱われ、樋口一葉も使いの者でそして弟子みたいな立ち位置でした。

そんな彼女にも渋谷三郎という許嫁
5歳年上そして自由民権運動に参加のちに官僚になるようなそんな有望株!

結婚したら裕福な家庭になりそうだなぁ玉の輿!

婚約解消と家族の事業がパーに

18歳 父の事業が失敗そして死去。兄も既に死去
一葉は母と妹一家を支える大黒柱になります。
針仕事に、塾での住み込み手伝い、雑貨屋を開くんですね。

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多額の借金を理由に渋谷から婚約解消されます

ただでさえ18歳の女の子が一家を支えるだけで大変なのに、婚約がパーになるなんて…

その後 20歳で朝日新聞の小説記者 31歳の半井桃水(なからいとうすい)に師事。

桃水も一葉の面倒を見ていて、いつしか毎月手当をもらうようになった関係だとか。とうとう二人がスキャンダルに。
独身であっても結婚が前提ではないなら、認めてもらえなかったのです。

今とは時代が違いますね…

そのあと吉原遊郭に近いところで駄菓子屋を営むも上手くいかず、困窮に悩みます。

でもここでの生活で様々な階級の人を見て、一葉は明治の女性をリアルにとらえます。
それは後々彼女の作品に生かされることになります。

23歳 知り合い 観相家久佐賀満吉に70円の借金を頼みます。
相変わらず変わらない貧乏生活を送る彼女に満吉は

毎月15円の手当をやるから妾にならんかといわれる。
樋口一葉はこれを拒否。

※当時の小学校教員の初任給が10円前後

そこから一年で『大つごもり』を創作。

『にごりえ』

『たけくらべ』

など次々に発表

文豪 森鴎外から賞賛 開花させた才能

樋口一葉の作品を幸田露伴に森鴎外がべた褒め。

いまさらになって、以前に勝手に婚約破棄をしてきた渋谷からよりを戻そうと言われるも拒否。
なんという都合のいいヤツなんだ…。

ちなみに渋谷はそのあと検察官、裁判官、内務省官僚、最後は秋田県知事にまで上り詰める男でした。

樋口一葉はここから作家活動を本格化しようと思っていたいましたが、
1896年3月 喉に違和感 咽頭部が腫れる
7月 連日の39度以上の高熱
8月 神田病院へ
その時もあまりお金使いたくなかった模様。いまだに貧乏生活だったので…。しかし結果は結核でした。

軍医でもある森鴎外の紹介で東大病院内科の青山胤通 (たねみち)の診察受ける
重度の肺結核

1896.11.23 不帰の客に

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樋口一葉が生きていた頃はまだまだ封建社会が残る社会でした。そして彼女自身も貧困生活に悩まされ10代で家族を養わなくてはならず、作品創作もなかば一家を支えるという働く手段の一つだったと思います。
薄幸な人生と言われればそうかもしれませんが、色んな生き方、働き方がある中で、文才に長け芯のある樋口一葉だったからこそ、若くして一年少しの作家人生で日本文学の世界に名を残したんだと思います。

ではでは
ちゃおちゃお

参考文献:乙女の日本史