長谷川町子 理想の家庭サザエさんと女ばかりの独身作家人生

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どーもそんべんです!
秋らしくなってきて風も涼しくなってきましたね。
早速ご紹介します!

読んでほしい人
▷漫画や絵で自分を表現したい
▷インドア派
▷一人でいる時間が好き

長谷川町子

そう!あの『サザエさん』の作者です!
日曜日はよく家で家族とよく見てました。
学校にサザエさん全集があったのでよく漫画を読んでました。

そして1冊小学生の時に買ってもらったサザエさん!

懐かしい!実家にとってあります!

まだ家を探すと出てくる…。
東京に行ったときに買ってもらってボリボリ食べた
サザエさんクッキー

懐かしさを胸に本日も見てみましょう(#^^#)

新桜町の長谷川町子美術館でお土産を買う前に…長谷川町子物語とは?

1920年 佐賀県で生まれる
四人姉妹の三女ですが、次姉が早世したので真ん中の子として育つ。

長谷川家は賑やかそうですね(*’ω’*)!!

1933年 13歳
しかし父が死去
大好きな父が病に伏すんですよね。
長谷川町子の母、決意をして一家で上京します。
めげてめそめそしてる場合じゃないんだ…!

長谷川町子もすごいんですが、町子の母がガンガン進んでいく感じはすごい!

長谷川町子は東京の女学校へ転入

1935年 15歳『のらくろ』作者の田河水泡の弟子入り

母は長谷川町子の才能を見抜いていて
『のらくろ』作者の田河水泡に弟子入りをアポなしで
頼みに行きます。

長谷川町子の母はすごい…!才能まで見抜くとは…!

『のらくろ』って当時の大人気漫画
かの手塚治虫の漫画人生にも大きく影響を与えた漫画です。

1944年 24歳 福岡へ疎開
とうとう戦争モードへ
西日本新聞社へ入社
絵画課の記者になる

福岡に空襲がやって来るようになると、女子社員は出社を免れます。
普通なら「やったー!休みだ!」と嬉々とするんですが、
長谷川町子は好奇心に駆られて、記者魂に燃えてか、出かけていくんですよね。

こんな24歳の女子、現代の日本にいるでしょうか…。

1946年 26歳『サザエさん』連載がスタート

しかし長谷川町子はマスコミやメディアに出るのが嫌い…。
人の前に出ることは拒否。
連載を続けていた朝日新聞社には数えるほどしか言っていません。
どんだけ嫌なんだ…!

1948年 28歳
東京の出版社から声がかかり一家は再び上京することに
『サザエさん』は突如結婚したことになり終了
しかし再度『サザエさん』を復活させます。

長谷川町子の生活の中心といえば漫画
漫画の一言。
『サザエさん』の通算は6477回
新聞社のオートバイが引き取りに来る4時までには必ず作品を一枚仕上げる。
これをずーっと繰り返すんですね。

1960年 40歳
一年間の休載。
対談で寝つきの悪さから精神安定剤や睡眠薬を服用
そりゃ毎日なにかを描いてる生活をしてたら大変ですよ

その時税務署に廃業届もだして、仕事道具も捨てます。
家族は長谷川町子の残酷なまでにきつかった仕事ぶりをしっていました。なので漫画家をやめたことは喜んでました。

でも結局、長谷川町子は漫画家をやめずに続けていくんですね。

著作権厳しい…。今日の日本の大衆文化サザエさん遺産

そんな長谷川町子の作品

『サザエさん』
志賀直哉の『赤西蠣太』に出てくる登場人物の一人が
「小江/さざえ」という名前から影響を受けたとのこと。

そんな長谷川町子は生涯結婚しませんでした。
病死で夫を亡くした母
夫が戦死した姉、そして長谷川町子。
四女の妹の家族が普通の一般的なサラリーマンの家庭でした。
しかしそんな妹も夫は35歳の若さ病死。

長谷川町子の家には男性がいないんですよね。

1966年 46歳『いじわるばあさん』発表
いじわるばあさんって本当に意地悪で
救いようがないくらいの意地悪さ加減です
意地悪すぎて子供の家をたらいまわしになったあげく
老人ホームの前に捨てられることも…。
意地悪さが際立ってますね!

長谷川町子は家の中では内弁慶でした。
まさに『いじわるばあさん』はそんな長谷川町子の分身だとも言えます。

1467年 47歳 早期の胃がん
当時の医療現場としては本人にガンだと告知しないことが多かったので
あくまで胃潰瘍として入院。
手術は成功。
そして病室に仕事道具を持ち込みさっさと漫画を描き始めます。

プロ根性、半端じゃないぞ!

1469年 49歳『サザエさん』のアニメ化
人気に拍車がかかります

1974年 54歳『サザエさん』連載終了

1978年 58歳『サザエさん打ち明け話』を連載

旅や歌舞伎に興を添えて、犬や猫がいる緩やかな温かい毎日を連載

1987年 67歳『サザエさん旅歩き』
主に長谷川町子の母の晩年に筆をとっていました。

91歳の長谷川町子の母。
そんな母は娘の名前さえ忘れてしまうのでした。
いつかはこんな母のようになる自分を想像して気落ちして、うつになり、
一方で騒がしくて心の落ち着きがない状態でした。
そしてそんな母も人生の最期を迎えます。

1991年 71歳 日本漫画家・文部大臣賞の表彰式に出席

1992年 72歳 死去
5月27日 冠動脈硬化症による心不全

そして長谷川町子を最期みとったのは長女 毬子

死後、一か月経ってから長谷川町子の訃報を告知しました。
もともと長谷川町子は
「70歳を過ぎて病気になれば、入院しないし、手術しない、死んだら密葬して納骨をするまでその死を公表をしない」というのが長谷川町子の言葉でした。

遅い公表は長谷川町子の遺言でした。

関連書籍☆彡

長谷川町子の生き方から学ぶ

サザエさんを知らない日本人はいないといっても過言ではない。
それくらいよく知られているアニメですよね。
そんな作者はさぞかし小さな頃そして一生は楽しい家庭だったんだろう。楽しい家族のエッセイかと思いきや、長谷川町子の人生はかけ離れたものでした。
大家族とはいいがたく、呪われているかのように長谷川家から男性が一人、また一人いなくなり、女性が残るようになります。

長谷川町子は『サザエさん』に自分の理想を重ねたのかもしれません。
こんな大家族がいいなあ、にぎやかだったいいなあと思って書いてたのかもしれません。
長谷川町子の思いや理想が日本中の理想であって、
昭和だけでなく平成でもすたれることなく日本中の茶の間に
花を咲かせてくれるアニメなのかもしれません。

あー、なんかサザエさんとじゃんけんしたくなってきた笑!!!

あとちなみにTwitterやってます!
ちょいちょいつぶやいてるので笑!
歴史セラピスト(@Histothera1212)

ではでは
ちゃおちゃお🐾

参考文献:みんなの死に方/青木由美子/河出書房新社
この年齢だった!/酒井順子/集英社