フリーダカーロ 情熱と苦悩が生んだメキシコ奇才の画家

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読んでほしい人

▷激しい恋愛が好き
▷ユニークな女性が好き
▷情熱的な生き方がしたい

フリーダカーロ

私がフリーダカーロを知ったのは初めての海外旅行L.A.に行ったときです。
彼女の作品が描かれた美術館の宣伝を見て、印象的な眉毛と眼光が焼きついて離れませんでした。

小さいころから激しい フリーダカーロ

そんなフリーダカーロはどんな人生だったのでしょうか?
1907年 7月6日メキシコシティ郊外のコヨアカンで誕生
しかしドラマチックな展開が好きなフリーダカーロはメキシコ革命勃発の1910年を誕生日と公表。

あれっ?誕生日って変えれたのねw

子供のときから性格は激しくて、嫌いな女の子に喉を掴むほど。
どんだけ嫌いなのw

1913年 6歳で小児麻痺で右足に障害が
そこから内向的な性格になってしまします

母のマティルデは娘フリーダカーロには家事能力とカトリックの教育が大切!
父 ギリェルモは学問の夢をフリーダカーロに託す!ちなみにパパはルーマニア出身のドイツ系ユダヤ人で有名な写真家です。

1922年 15歳 国立予科学校へ
秀才グループ「カチュチャス」のメンバーに。
やんちゃすぎて退学寸前。
でも優秀なフリーダカーロはそんなメンバーと図書館へ集まり、16歳でスペイン語、ドイツ語、英語の本も読めるほどに。
フリーダカーロは優等生系不良の魁なんですかね?

三角関係以上の恋愛と瀕死の重傷

活動を通じてアレハンドロと恋に落ちる
ちなみにフェルナンドという人が既にいたんですが…

さらにもっと言えば巨匠ディエゴが壁画を描きに来ていて、ディエゴに惹かれて
「いつかディエゴの子を出産したい」と思うように。

しかしいきなりフリーダカーロに衝撃的なことが…
1925年 18歳通学バスの交通事故に遭い瀕死の重傷

衣類はちぎれて全裸になり、体を鋼鉄が貫かれ、全身血まみれ
金粉と血まみれ、腹に大きな穴が空きました。

奇跡的に復活しますが

身体だけでなくメンタル面でもやられます。
入院中はベッドに横たわり
「絵具を使いたい」と告げて絵を描く生活に。

独学で絵を学び自画像を描くというフリーダカーロのスタイルに。
でも家庭は入院費用でもう火の車。

芸術ってやっぱりお金かかる…!ただでさえ入院でお金飛んでるのに…!

巨匠ディエゴとの再会

1928年 21歳 学校を復学、そしてディエゴと知人の家で再開します。
自分の作品に関して評価してほしいと依頼し、ディエゴと再会
ディエゴもフリーダカーロの才能に光を感じます。
すごい展開です!どうなってしまうのでしょうか…

1929年 22歳ディエゴと結婚
この時からフリーダはメキシコの民族衣装「テワナ」を普段着に
ディエゴはちなみに大物共産主義者、中年42歳、おなかも出て、この結婚で3度目。
それに比べてフリーダカーロは若くて小柄な美人。
これはマスコミが食いつきます。
ディエゴのモテ才能が開花しすぎだよw

1932年 25歳 ディエゴとニューヨークへ
経済難だったフリーダの家族もディエゴから支援を受けます
母 マティルデはディエゴを嫌います。
・21歳年上
・女好きとして有名
・巨体

「まるで象と鳩の結婚」と表現

母、言い過ぎw

そんな当本人たちはお構いなく二人の世界へ
念願のディエゴの子誕生日も数度流産

しかしディエゴは壁画のアシスタントの若い女性とデキてました。
フリーダカーロは更に深く悲しむのです。

そのあとも流産経験を経て、
フリーダはこれを原動力に胎児の絵を描くことに。

そんな中で
1933年26歳 母マティルデ死去

夫が実妹とデキてた…ディエゴ離婚再婚

夫ディエゴはアメリカの仕事でストレスを受け、痩せます。
それを心配したフリーダは
妹 クリスティナにお世話依頼

しかし

1934年 27歳 妹クリスティナとディエゴの関係が発覚

いやー、これはきついです…。

そんな痛みを忘れるかのように
1935年 28歳 イサムノグチと愛を深める

1938年 31歳ニューヨークで初めての個展
フリーダカーロの画家としてのキャリアが一歩ずつ

そして恋愛ではニコラスムライと愛を深める
1939年 32歳 メキシコ展のためパリへ大成功をおさめます。

ディエゴを独占出来ないことから、他の男性と恋愛していましたが、
フリーダカーロはやはりディエゴとやり直したい。

でもディエゴは別れたかった。そしてディエゴと離婚。

フリーダカーロはお酒の飲む量も増え、ブランデー1日1本空くペース。
亡命したロシアの革命家トロツキーとも関係がありました。
しかしそのトロツキーは暗殺されます。

フリーダはトロツキーの事で警察から尋問を受けて体調悪化。
1940年 33歳ディエゴと再婚

でも条件付き
・家計は折半
・肉体的な関係は無し

夫婦というより良き仕事のモチベーションを保つような感じですかね?
色んな夫婦の在り方がありますので何とも言えませんが。

1942年 36歳 メキシコ文化センターの会員に選出 教員として授業を受け持つ
1953年 46歳 右足の膝から下を切断
このときも病院で横たわりながら絵を描きます。
この時からフリーダは同性を愛するように。
そしてフリーダが振った女性は、あまりにショックだったようです。フリーダのベットの傍らで毒により自殺する人もいるという。

病院、めちゃメーワクでしょ…

そんな中体調 はよくならず、でもフリーダ自身はどんなにディエゴはどうしようもない男性でも愛していたようです。才能にあふれて、自分のすべてを受け入れてくれる。
結婚25周年目記念の指輪を渡して
その一か月後

1954年 47歳 肺炎併発で死去

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フリーダカーロの生き方から学ぶ

読んでてなんて激しい女性なのかと思いました。生まれた時から重症だし交通事故にも遭うし、かわいそうだねなんて言葉で終わらないのがフリーダカーロ。どんどんその情熱を作品に向けて表現していきます。きれいだしモテているのに、ろくでもないおじさんディエゴにはまって結局はフリーダカーロの人生ディエゴ無しでは語れません。今、こんなに激しく生きて作品を残せる人っているのかな。いないわけではないけど、フリーダカーロ以上になれるかは分からないですね。私もフリーダカーロくらいの情熱と苦悩をもって、自己表現出来たらなあ…。平凡な生活や人生にフリーダカーロの激しい要素を2~3滴混ぜてみよう。

ではでは
ちゃおちゃお

参考文献:女の哲学/宇波彰/PHP
世界の「美女と悪女」がよくわかる本/島崎晋/PHP文庫